浜頓別周りの旭川~音威子府~稚内間鉄道路線が全通したのが1922年。
それから8年近くの間は宗谷本線と呼ばれていたのが後の天北線。
最後に開通したのが、稚内と鬼志別の間の路線でした。

その鬼志別駅は、1989年に天北線が廃止になった後は、天北線の代替えバスのバスターミナルに建て替えられました。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

目次

  1. 一階には待合室の他に天北線資料室!!
  2. 他にもコレクター垂涎の展示品が!!
  3. 鬼志別駅の在りし日の姿も
  4. 天北線資料室

一階には待合室の他に天北線資料室!!

この鬼志別バスターミナルも、他のいくつかの天北線の駅と同様に、館内に天北線に関連する品々を展示する資料室が併設されています。

部屋に入ると、ついニンマリ。
鬼志別だけではなく、近隣駅の駅名標がズラリと並べられているのです。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

「あさじの」駅は、1919年に浜頓別から路線が延伸して来た時に開業。
翌年に路線が鬼志別まで延伸されて中間駅となりました。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

駅名標と並んで、国鉄時代の駅員さんの制服や、現場作業員の作業服、それに、これは中々希少な安全標識衣(黄色の上着)も展示されていましたよ。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

他にもコレクター垂涎の展示品が!!

おっと、こちらは「旭川鉄道管理局」=「旭鉄局」の文字入り壁掛け時計。
隣りは内専用の黒電話です。どちらも希少な資料ですよねぇ。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

この写真の右側にあるのは、単線区間での列車同士の衝突を防ぐタブレット閉塞器です。
真っ赤に塗られている事から、「おいなりさん」と呼ばれていたとか。

左側の網みたいなものは、昔からの道産子ならご存知の「ジョンバ」と呼んでた雪かきですね。
忘れ物掲示板も懐かしいなぁ~。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

切符の展示もありましたよ~

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

これは駅で使われていた事務用のゴム印ですね。
よく見ると「女性席」なんてハンコもありますよ。
どんな風に使われていたのかなぁ…。気になるところです。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

鬼志別駅の在りし日の姿も

鬼志別駅が開業したのは1920年の事。
天北線廃止まで運行された急行・天北の停車駅でもありました。
そんな歴史ある駅舎でしたが、天北線廃止後には撤去されてしまいました。
資料室には、現役時代の写真が遺されていました。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

こちらはもっと古い時代の写真ですね。

天北線資料室in鬼志別バスターミナル
(画像=『北海道そらマガジン』より引用)

じっくりとあれこれ眺めていたら、
帰り際にバスターミナルの職員のかたが天北線沿線マップをプレゼントしてくれました。
ありがたい~♪
天北線資料室、小さいながらもなかなか充実した展示が見られましたよ。

天北線資料室

住所:中川郡音威子府村音威子府509−98
浜頓別から国道238号線を北上し浜鬼志別で道道138号線に左折。
5キロ程先の鬼志別市街地でQマート猿払店のある交差点を左折し突き当り。

提供元・北海道そらマガジン

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