1960年代に、イスラエル南部のネゲヴ砂漠にあるテルアラド遺跡で、18個の「オストラコン(文字が刻まれた陶器の破片)」が見つかりました。
これらは、今から約2600年前、紀元前600年頃のユダ王国で書かれた碑文です。
今回、9月9日付けで『PLOS ONE』に掲載された研究によると、最先端の画像処理や筆跡鑑定から、18の碑文は少なくとも12人の人物によって書かれたことが判明しました。
これはユダ王国の識字率が予想以上に高く、読み書きの能力が、他の古代文明に見られるように、ごく少数の王室書記官に限定されていなかったことを示唆しています。
研究は、イスラエル・テルアビブ大学により報告されました。
2600年前の文字を筆跡鑑定
筆跡というのは、無意識の癖のパターンからなります。
この筆跡の癖は人それぞれであり、2人の人がまったく同じ癖を持つことはないというルールに基づいているのが、筆跡鑑定です。
研究チームは、18の碑文について、最新の画像処理技術と機械学習、および専門家の筆跡鑑定から、文字の識別を行いました。その結果、最低でも12人の書き手の存在が特定されています。
内容は「食料の輸送」から「兵士の移動」まで
オストラコンに記された内容には、「パンやワイン、油、小麦粉を送ってほしい」という日常的な雑事から、近隣の要塞とのやり取り、ユダヤ高官からテルアラド要塞への命令などが見つかっています。
テルアラド遺跡は、かつてユダ王国の南の国境に位置した軍事基地であり、常時20〜30名の兵士が駐在していました。
碑文には、「キッティイム(Kittiyim)」と呼ばれる部隊の名前が頻出し、食料供給や兵士の移動は彼らに向けての内容と思われます。
また、筆跡鑑定のおかげで、少なくとも4人の異なるユダヤ高官が識別されており、それぞれ交代で任に就いていたのかもしれません。
ユダ王国の識字率はかなり高かった?
ここからユダ王国の識字率の高さが伺えます。
テルアラド要塞は、数ある前哨地の一つに過ぎず、ユダ王国は他にも多くの要塞に同様のメッセージを送っていました。
たった18個の碑文から12名の書き手が見つかっていることから、王国全体で読み書きができる人物はかなり存在したと推測されます。
政府高官や軍の連絡官など多くの人が読み書きを習得するには、ユダ王国に習字の教育システムが存在したと考えるのが普通です。
もちろん、現代の先進国のように国民の大半が読み書きできたとは思えませんが、商売を営む一部の富裕層などは習得していたかもしれません。
このことは、ヘブライ聖書(旧約聖書)の成り立ちを考える上でも重要です。
ヘブライ聖書は、多くの章や詩篇から成り、少数の書き手ではともて記述しきれません。しかし、本研究が示すように、ユダ王国に書き手が十分にいたのなら納得できます。
3000年近く前から存在したユダ王国は、他の古代文明と違い、識字率の非常に高い社会だったのかもしれませんね。
参考文献
phys
sci-news
提供元・ナゾロジー
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