短期記憶を長期記憶にする新たな仕組みが示されました。

8月15日にアメリカのマウントサイナイ医学大学の研究者たちにより『Nature Communication』に掲載された論文によれば、新しい学習内容が脳に定着するには、古い習慣にかかわる脳領域(背外側線条体)に存在する、古い習慣を担う回路を打ち倒す必要があるとのこと。

習慣にかかわる脳領域(背外側線条体)には、古い習慣的な行いを担う回路だけでなく、新規学習によって活性化する回路も存在しており、この2回路間の活性バランスを新しい学習側に傾けることで、新しい記憶が脳に定着するようです。

しかし、いったいどうすれば新規学習側の回路を活性化できるのでしょうか?

目次

  1. ラットやマウスも学習中ではなく学習後に長期記憶が形成される
  2. 脳は新規と習慣を競わせることで記憶を選別している
  3. 新規記憶回路を優勢にする薬は記憶増強剤になりえる

ラットやマウスも学習中ではなく学習後に長期記憶が形成される

学習内容を定着させるには「古い習慣」を超える必要があった
(画像=ラットやマウスも学習中ではなく学習後に長期記憶が形成される / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

近年の脳科学の進歩により、人間を含む動物の様々な行いや感情に対応する神経回路が明らかになってきました。

快楽を担当する回路を刺激すれば、動物は気持ちよくなり、恐怖を担当する回路を破壊すれば、恐れを感じなくなります。

また集中力を担当する回路を強化すれば、記憶力が増大し、問題解決力が向上します。

しかし道具を用いる複雑な課題に対する新たな記憶が、どのようにして脳に定着していくかは詳しくわかっていません。

そこで今回、アメリカのマウントサイナイ医学大学の研究者たちは、ラットとマウスにレバーを引くとエサがもらえるという条件を学習させ、脳で何が起きているかを確かめることにしました。

すると意外なことに、学習が成功したマウスたちは「学習後」になってから、快楽や意思決定にかかわる線条体(せんじょうたい)の働きが、活発化していることが判明します。

このような線条体における活発な働きは、学習中にはみられないものでした。

研究者たちは、忙しい学習が終わって休憩段階になったことで脳内での記憶の整理と統合が進み、学習の成果が生じたと考えています。

似たような現象は人間でも発見されています。

ですが今回、研究者たちはさらに詳細な仕組みの解明を目指しました。

快楽や意思決定にかかわる線条体は複数の部位から構成されているのですが、研究者たちは各部位に長期記憶の形成を妨げる薬物(アニソマイシン)を注射。

線条体全体から長期記憶にかかわる領域の絞り込みを行いました。

すると、予期せぬ結果が現れます。

伝統的に行動学習にかかわるとされてきた領域を阻害しても記憶の定着に問題がなかった一方で「古い習慣」を担う部位(背外側 線条体)を阻害したところ、記憶の定着が大きく妨げられたからです。

いったいどうして、新しい記憶の定着に、習慣がかかわってくるのでしょうか?

脳は新規と習慣を競わせることで記憶を選別している

学習内容を定着させるには「古い習慣」を超える必要があった
(画像=脳は新規と習慣を競わせることで記憶を選別している / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

なぜ新しい記憶の定着に習慣がかかわっているのか?

謎を解くために研究者たちは習慣にかかわる線条体の領域(背外側 線条体)を詳細に調べました。

すると興味深いことに習慣にかかわる線条体には、本来の習慣を担う神経回路(D2-MSN、以下で慣習回路と呼びます)だけでなく、新しい学習に反応して活性化する別の神経回路(D1-MSN、以下で新規学習回路と呼びます)が存在していると判明します。

学習内容を定着させるには「古い習慣」を超える必要があった
(画像=脳は新規と習慣を競わせることで記憶を選別している / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

また興味深いことに、研究者たちがそれぞれの神経回路を刺激した結果、新規学習回路と習慣回路は一方が活性化すると他方は抑制されるという性質があることが判明。

そして長期記憶が形成されるときには、新規学習回路が習慣回路に対して優位にある必要があることが示されました。

この結果は、人間の脳には新しい学習内容を既存の習慣と競わせて、勝った場合のみ長期記憶として保存するような仕組みが存在する可能性を示します。

新規記憶回路を優勢にする薬は記憶増強剤になりえる

学習内容を定着させるには「古い習慣」を超える必要があった
(画像=新規記憶回路を優勢にする薬は記憶増強剤になりえる / Credit:Canva . ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

今回の研究により、習慣にかかわる脳領域(背外側 線条体)が記憶の定着に重要な役割を果たしていることが示されました。

新しい記憶が脳に入り込むと、この領域に存在する習慣回路と新規学習回路の活性度が比較され、脳にとって価値がある場合は新規学習回路が優勢になり、長期記憶の形成につながっていたのです。

問題は、脳が価値を決める基準が、社会的な基準とは異なる点にあります。

社会的に価値がある学習内容であっても、脳がその事実に同意しない状況…つまり学習内容に興味を感じずに、習慣の壁を乗り越える十分な活性が得られない場合、いくら学習時間を投じてもしても長期記憶として定着せずに忘れられていきます。

研究では人工的に新規学習回路を阻害したり、意図的に習慣回路を増強すると、ラットたちの頭から学習内容が抜け落ちていることが示されています。

反対に、新規学習回路を増強したり、習慣回路を遮断した場合、長期記憶形成を劇的に増加させられることもわかりました。

この結果から、研究者たちは人間に対しても、長期記憶形成に回路の均衡を傾けるような神経回路の刺激薬の開発が可能であると考えています。

もしそのような薬の開発が成功すれば、認知症の治療薬として使えるだけでなく、やる気が無くても学習したら忘れなくなるような、記憶増強剤ができるかもしれません。

参考文献
Old Habit-Controlling Neurons May Also Help the Brain Learn New Tricks
元論文
Opposing roles for striatonigral and striatopallidal neurons in dorsolateral striatum in consolidating new instrumental actions

提供元・ナゾロジー

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