中国・河南省(かなんしょう)の三門峡市で、2000年以上前のものと思われる「白鳥の壺」が発見されました。
壺は、同市の都市再生プロジェクトの工事中に、建設作業員が偶然発見した遺跡から出土しています。
連絡を受けた三門峡市の考古学研究所が現場に行き、発掘調査を開始。その結果、壺の他に青銅製のカブトや鉢、鉄とヒスイで作られた剣なども見つかりました。
さらに、白鳥の壺のフタを開けてみると、中には得体の知れない液体が3000mlも保存されていたとのことです。
果たして、この液体の正体は何なのでしょうか。
2000年前に「白鳥」は中国に来ていた?
発見された遺跡の年代は、タイプ分類学に基づく分析から、秦王朝(紀元前221〜紀元前206頃)、あるいはその後の漢王朝(紀元前202〜紀元220頃)と特定されました。
三門峡は、当時の行政の中心地であった西安と洛陽のちょうど真ん中に位置しています。秦・漢は、中国史における動乱期の一つであり、三門峡も重要な交通の要所になっていたかもしれません。
また、研究チームのZhu Xiaodong氏は「三門峡市で青銅製の壺が見つかったのはこれが初めて」と話します。
壺は、白鳥の首の長さや形、頭部の模様から「コブハクチョウ」がモチーフになっていました。コブハクチョウは、中央アジアやヨーロッパを中心に生息し、繁殖のため外国に渡ることもあります。
壺は明らかに熟練した職人の手によるもので、作った人は白鳥を熱心に研究して、その形態に精通していたようです。
Xiaodong氏は「このことから、2000年以上前には三門峡にコブハクチョウがいたことが伺える」と話します。
現在、三門峡にいる白鳥は、1980年代以降にシベリアから移住してきたのですが、2000年前にはすでに同地にいたのかもしれません。その後、気候の変動により、シベリアへ移ったとも考えられます。
液体の正体は何?
壺の中に入っていた液体の正体は、いまだ判明しておらず、化学分析をするため北京の研究所に送られています。
不純物を含んだ黄褐色をしており、当時の三門峡市の人々によって親しまれたアルコールのようなものかもしれません。
実際、中国国内の別の地域で、漢時代の役人の墓からアルコールの一種が発見されたことがあります。
おそらく、白鳥の壺を含む他の遺物も、葬儀用のお供え物だったのでしょう。故人が死後の世界でも楽しめるよう、お酒を供える慣習があったとも思われます。
あるいは、中国4000年という長い歴史において、仙人が調合した不老不死の薬…ということもありうるかもしれません。
最終更新日:2021.01.27 WEDNESDAY
公開日:2020.06.02 TUESDAY
提供元・ナゾロジー
【関連記事】
・ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
・人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
・深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
・「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
・人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功