Point
■18世紀のイギリスでは、貴族たちが「庭園隠者」と呼ばれる人を雇って地所に住まわせることが流行
■「庭園隠者」は、来客があれば、相談に乗ったり、食事を提供したりしてもてなした
■住み込みの見返りに給料も貰っており、仕事内容には「ジオラマ」のようにポージングをとって動かないというものもあった
イギリス貴族、楽しみ方のクセがすごい。
公園や家の庭先に、小さな小人の像が置いてあるのを見かけたことがあるでしょう。18世紀のイギリス貴族の間では、これと同じことをホンモノの人を使って再現することが流行していたのです。
「引きこもり」のプロフェッショナル
当時イギリスの富裕層は、自分の土地に田舎風の岩屋や小さな塔を建てて、その中に雇った人を住まわせていました。こうした雇われ人を「庭園隠者」と呼びます。
「庭園隠者」は引退した僧侶や農場労働者が選ばれることが多く、その大半がドルイド僧のような格好をさせられていました。ドルイド僧とはケルト社会における祭司のことで、宗教や政治についてのアドバイザーとしての役割を果たした人物たちです。
「庭園隠者」たちも、来客があれば、悩み相談や助言を任されていました。さらに、自作のポエムを披露したり、ワインで客人をもてなしたりとエンターテインメントの要素が強かったのです。
もちろん、隠者は住み込みの俸給として、部屋と食事の他にお給料もしっかりもらっていました。ただ、隠者はまったく体を洗わず、髪も爪も伸び放題になっていたのです。そこはしっかりした「世捨て人」演出だったのでしょう。
「庭園隠者」の起源
「庭園隠者」について研究するレスター大学のゴードン・キャンベル氏によると、最初期に僧が庭園に住むようになったのは、古代ローマのハドリアヌス帝(76年〜138年)の時代とのこと。当時から保養地として知られていたイタリアの「ティヴォリ」という村で、貴族たちによって多くの別荘が建造されました。
こうした別荘は、隠居した人のために山奥深くに作られ、その遺物は16世紀になってようやく発見され始めたのです。それから、18世紀になり、主にイングランドで流行し始め、その後スコットランドやアイルランドとイギリス中に広まっていきます。
特別なイギリスの「庭園隠者」
一般的に隠者の仕事は助言や来客の世話係でしたが、イギリス貴族は愉しみ方が一味違っていました。
隠者たちを家具や装飾品で整えた舞台の中に置き、身動きしないようポーズを取らせ、ジオラマとして観賞したのです。こうした庭園装飾専門の隠者たちは、「庭園隠者」とは別に「観賞隠者」と呼ばれて親しまれました。
実例としては、1784年ころのイングランドにあるホークストーン庭園の観賞隠者の記録が残っています。舞台設定として、机の上に死の象徴としての頭蓋骨や砂時計、古典図書や眼鏡が配置され、意図的に一つのジオラマが作り出されました。その前に座らされた隠者は虚空を見つめるようにして沈黙を貫きます。この隠者は、なんと齢90歳のベテラン隠者でした。
この姿勢のまま来客を迎えて、一切の意思疎通を図ることなく、客人が帰るまでじっとポーズを取り続けるのです。まるで某テーマパークにあるカリブの海賊のようですね。
当時のイギリスの貴族層では「憂鬱な人物」が最も美徳とされており、物静かで内省的な人ほど尊敬の的となりました。そのため雇い主は、この隠者に対して「陰鬱」に振る舞うよう指示していたようです。
ところが隠者の流行も19世紀に入ると徐々に弱まり、今では当時の小屋がいくつか残されている状態。ただ、こんなに魅力的な仕事がなくなってはもったいない。「庭園隠者」に名乗りを挙げる人は、現代にもたくさんいるかも…?
reference: atlasobscura / written & text by くらのすけ
提供元・ナゾロジー
【関連記事】
・ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
・人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
・深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
・「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
・人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功