ラオスのシエンクワーン県にある「ジャール平原」は、地球上で最も不可解な場所のひとつとして知られます。
この平原には、高さ3メートルの巨大な石壺が、広い範囲にわたり2000個以上も散らばっているのです。
建造年代は1500〜2000年前で、確かな用途は不明。1930年代に発見されて以来、多くの考古学者たちを魅了し続けています。
しかし、その起源や作った目的などの多くが謎に包まれている遺跡です。いったいどんな秘密が隠されているのでしょうか。
石壺を作ったのは巨人?
ジャール平原に関する最大の謎は、これほど巨大な石壺(中には10トンに達するものもある)を10キロも離れた採石場から、いかにして運んできたのかということです。
上の映像を見れば分かるように、石壺は広範囲にわたって分布しています。1500年以上も前の人が手作業でひとつずつ運んできたとは考えにくいでしょう。
この問題について、地元の伝説は次のように答えています。
数千年前、この地は、巨人の種族によって住まわれていた。その中の善良な王であるクン・ジュアム(Kun Jeuam)は、民衆を圧迫していた悪の王チャオ・アンカ(Chao Angka)と長きにわたる戦いを始める。
戦いに勝利したクン・ジュアムは、祝杯をあげるため、「ラオ・ハイ」という米の酒を部下の巨人たちに作るよう命じた。巨人たちは、採石場から運んできた石で巨大な壺を作り、そこでお酒の醸造と貯蔵をした。
伝説の真偽はともかく、石で作られたフタがいくつか見つかっていることから、何かの保存に使われていたことは確かなようです。
しかし誰が作ったのかは不明で、石壺自体もその起源や用途について多くを語ってはくれません。
遺体の浄化に使われた可能性も
一方で、専門家の間では「葬儀用の骨壺として使われたのでは」とする意見が大半を占めています。
というのも、石壺の周辺に人骨や埋葬品、陶器などがたびたび発見されているからです。
また、遺体を火葬する前に石壺の中に放置して、軟組織などを分解・乾燥させたという「浄化説」も支持されています。
ラオスでは、遺体を一時的に窪みの中に放置して、肉体を分解させる習慣があったため、説得力のある説です。
火葬後、骨は再び壺の中に戻すか、別の神聖な場所に移され、石壺はまた別の遺体の浄化のために使われたと考えられています。
近年の研究では、石壺の周囲に18人分の人骨が見つかっており、その6割以上が幼児や胎児でした。このことから当時のラオス社会では、生まれた子どもの半数が栄養失調などで生き残れなかったと思われます。
それを踏まえると、石壺が遺体の浄化や納骨場として使用された可能性は高いでしょう。
研究者によるジャール平原の調査は現在も続いていますが、別の大きな問題があります。
ジャール平原には不幸なことに、戦時中に埋められた地雷や不発弾、その他の爆発物が数千トンも存在するのです。
それらが土壌を汚染したり、近隣に暮らす20万以上の地元民を脅かしています。
ジャール平原は、貴重な考古学的資料を数多く残していながら、調査には命の危険がともなう場所でもあるのです。
reference: ancient-origins
提供元・ナゾロジー
【関連記事】
・ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
・人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
・深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
・「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
・人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功