point
- アルプス山脈の氷床に、12世紀後半の鉛による大気汚染の痕跡が発見される
- 同時期にイングランドで膨大な量の鉛を使用した修道院の建設が行われている
- イングランドで発生した鉛の大気汚染が、風に乗ってアルプス山脈まで飛翔したと考えられる
ノッティンガム大学(英)の研究で、アルプス山脈のコッレ・ニフェッティ氷床(スイスとイタリアの境に位置)を調査したところ、約800年前に鉛による大気汚染が発生していたことが判明しました。
原因究明のため、研究チームは、イングランドの鉛生産の変遷を詳述した記録文書を調査。その結果、1169年に低下した鉛の生産が、翌年の1170年から急激に上昇していることが分かりました。
1170年と言えば、イングランドの聖職者だったトマス・ベケットが、時のイングランド王・ヘンリー2世に暗殺された年です。
研究主任のクリストファー・ラヴラック教授は「この暗殺事件が鉛生産の上昇、ひいては大気汚染に深く関係している」と指摘します。
果たしてその真意はどこにあるのでしょうか。
研究の詳細は、3月31日付けで「Antiquity」に掲載されています。
Alpine ice and the annual political economy of the Angevin Empire, from the death of Thomas Becket to Magna Carta, c. AD 1170–1216
暗殺が大気汚染の引き金に⁈
一人の聖職者の暗殺事件が大気汚染にまで繋がった真相を知るには、その間の経緯を知る必要があります。
トマス・ベケット(1118〜1170年)は、イングランドの大法官としてヘンリー2世(1133〜1189)に仕えており、また、王の息子の家庭教師も任されるなど、厚い信頼と寵愛を受けていました。
ところが、ベケットが1162年にカンタベリー大司教になったあたりから、教会の自由をめぐってヘンリー2世と対立し始めます。
ベケットは、王だけでなく他の司教の支持も失い、1164年に国外逃亡しました。その6年後、1170年にヘンリー2世と和解したものの、ベケットが王と親交の深かった司教を解任したことで事件に発展。
激怒したヘンリー2世は4人の騎士を刺客として送り、ベケットは同年12月29日にカンタベリー大聖堂で暗殺されたのです。
しかし、これがヘンリー2世を逆に追い込みます。
ベケットに対する地元民の信頼は厚く、彼を殉教者と見なしました。ローマ教会もベケットを聖人に加えたことで、ヘンリー2世の立場はますます悪くなります。
ついには、ベケットの墓前で土下座をして懺悔を迫られ、ローマ教皇の信頼を失いました。
その後、ヘンリー2世は、教皇の信頼を回復するために、いくつもの修道院を新たに建設し始めました。
そして、この建設に数トンにおよぶ大量の鉛が投入されたのです。
鉛は風に乗りアルプス山脈へ
ラヴラック教授は「この時の鉛の灰塵が北風に乗り南下して、アルプス山脈のコッレ・ニフェッティに漂着したのでしょう」と推測します。
実際に、氷床コアに発見された鉛の痕跡は、年代測定により、1170〜1220年のものと特定されているのです。
調査には、「レーザーアブレーションICP質量分析法(LA-ICP-MS)」という方法が用いられました。
これは、分析したい固体のサンプル表面に、集光したレーザーを照射します。その後、蒸発・微粒子化したサンプルをキャリアガス(サンプルを運ぶための不活性ガス)を用いてプラズマ内に導いて分解し、イオン化させます。
生成したイオンを質量分析計で測ると、照射された領域の情報がこと細かに得られるのです。
同研究チームのアレクサンダー・モア氏は「これにより何百年も前の氷床の秘密が、本を読むように解明できた」と話します。
アルプス山脈まで飛翔したこと考えると、イングランドでは大規模な大気汚染が発生したはずです。
ラヴラック教授によると、「その汚染レベルは18世紀半ば〜19世紀に起きた産業革命と同等」であり、本研究は「大気汚染」という概念が産業革命から生まれたことを否定するものとなっています。
提供元・ナゾロジー
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