モアイ像は水の守り神だったのかもしれません。
『PLOS ONE』に掲載された論文によれば、モアイ像とその台座(アフと呼ばれる)の位置を分析した結果、島の淡水源と一致したとのこと。
事実ならば、イースター島の住人は淡水源に対して並々ならぬ意識を向けていたことになります。
いったい何が島民たちを駆り立てていたのでしょうか?
なぜモアイ像は丘の上に建てられていないのか?
イースター島のモアイ像は多くの謎に包まれていました。
どうやって建てられたのか、なぜその場所に立っているのか、そもそもなぜ作られたのか…全てが謎に包まれています。
しかしモアイ像とその台座(アフ)の位置を研究していたオレゴン大学のディナポリ氏は、ある興味深い事実に気付きました。
歴史上、多くの宗教的な遺物は周囲よりも標高が高い、丘の上などに建てられます。
なぜなら、神々を祭る場所は人間にとって見上げるような場所が好まれてきたからです。
一方で、モアイ像とその台座が丘の上に建てられているケースは皆無でした。
ほとんどのモアイ像と台座は島で最も低い海岸線や、くぼ地、農地だった場所に建てられていたのです。
そこでディナポリ氏は、モアイ像の位置は淡水源に関係しているのではないかと考え、93カ所のモアイ像の土台の位置を調べました。
土台はモアイ像本体よりも遥かに移動が難しく、設置された当時の場所を維持している可能性が高かったからです。
すると、ほとんどのモアイ像の台座が、島の東にある、淡水源や淡水を要する農地として使われていた場所と一致していることがわかりました。
ディナポリ氏らは、大きな淡水源をみつけるたびに、大きなモアイ像とその土台も見つかったと述べています。
丘の上にモアイ像が無かったのも、丘の上では湧き水が得られなかったからでしょう。
しかしモアイ像が淡水源を祭るものならば、なぜ海岸に多くが並んでいたのでしょうか?
その答えはイースター島の厳しい地質環境にあったのです。
モアイ像は海を背に水を眺めていた
イースター島の地面の多くは非常に水ハケのいい火山性の多孔質に覆われていました。
そのため島では恒久的な川は一切形成されません。
イースター島にはじめて上陸したヨーロッパの船員たちも、淡水の確保が困難であったことを記録しています。
このような乾いた地質をもつ島の場合、淡水源は主に「水ハケが悪くなる」海岸線付近から湧き出る「湧き水」になります。
しかし海岸線付近の湧き水の多くが海の塩分に汚染されており、飲むことができる湧き水のポイントは限られていました。
そのため、ディナポリ氏をはじめとする研究者たちは、優良な湧き水地点に建てられたのモアイ像は宗教的な意味合いの他にも、縄張りを示す一種のマーキングでもあったと考えています。
モアイ像の多くが海を背にした海岸線付近に建てられているのも、山から下ってくる水の流れに関係していたのかもしれませんね。
参考文献
PLOS ONE
提供元・ナゾロジー
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