やる気スイッチは2種類あったようです
7月1日に量子科学技術研究開発機構の研究者たちにより『PLOS BIOLOGY』掲載された論文によれば、やる気の源であるドーパミンが、コスト内容(時間と労力)に応じて異なる経路で伝達されていたとのこと。
どうやら脳内では、時間とは別に労力が報酬に似合うかどうかを専門に判断する回路があるようです。
もしこの回路を制御することができれば、うつ病などで、行動が「おっくう」になる現象を回避できるかもしれません。
脳はいったいどんな方法で、コスト内容を区別していたのでしょうか?
「やる気」の中身は単純ではなかった
仕事や勉強、スポーツにゲームなど「やる気」は人間のあらゆる活動の根源にあります。
ですが「やる気」は非常に打算的な性質を持っています。
得られる報酬がコストに見合わないと感じると「やる気」は急速にしぼみ、最終的に行動を「辞めて」しまいます。
これまでの研究により、この「やる気」「報酬」「コスト」の関係はドーパミンが大きくかかわっていることが明らかになってきました。
ドーパミンは単純に「やる気」を出すだけでなく「報酬」と「コスト」を天秤にかけて、どちらを捨てるかも制御していたのです。
ですがこれまでは肝心の、天秤のバランスをとる仕組みは不明でした。
また「コスト」と言っても労力や時間など内容はさまざまであり「やる気」や「報酬」との関係は一概には決まりません。
そこで今回、日本の量子科学技術研究開発機構の研究者たちは、ドーパミンそのものの分泌量ではなく、ドーパミンの受け手(受容体)に着目しました。
ドーパミンの受け手には2つの型(D1受容体とD2受容体)が知られており、これらが「報酬」と「コスト」のバランスや種類に異なる影響を与えていると考えたのです。
さっそく研究者たちは、サル脳内でのドーパミン受容体の働きを調べてみました。
結果、意外な事実が判明します。
労力をかけてでも報酬を得ようとする、タフな「やる気」が存在していたのです。
「単純な報酬」とは別に「大変だけど頑張る」ために必要な回路
ドーパミンの異なる2つの受け手が「報酬」と「コスト」のバランスや種類とどのようにかかわるのか?
謎を調べるため、研究者たちはまずサルに対して、バーをニギニギするという特定の行動を行うと報酬としてジュースがもらえることを教え込みました。
そして報酬の量、必要とする行動の回数(労力コスト)、報酬をもらえるまでの待ち時間(時間コスト)をさまざまなパターンで実行しました。
すると予想通り、コストが大きく報酬が少ないほど、サルは報酬を得るための行動を途中であきらめてしまう確率(拒否率)が高くなることが判明します。
次に研究者たちは2つのドーパミンの受け手(D1受容体とD2受容体)を遮断する2種類の薬を与え、同じ実験を行いました。
まず両方の薬を同時に与えた場合、サルの脳内では「やる気」物質ドーパミンの伝達が全面的に遮断され、少ない報酬に対しては行動を起こさなくなりました。
ですがD1受容体とD2受容体を個別に遮断した場合には、異なる反応をみせたのです。
興味深いことに、D2受容体を遮断した場合のみ、サルは報酬を得るための労力を出し渋る「面倒くさがり」になってしまいました。
労力コストを払わなければ当然、報酬のジュースは得られません。
ですが「やる気」を失ったサルは報酬よりも働かないことを選択したのです。
一方、報酬までの待ち時間の耐性に対しては、D1受容体・D2受容体いずれかの経路の遮断でもサルのあきらめ率が高くなりました。
時間コストに耐えられなくなったサルはジュースが出てくる前に装置から去ってしまいます。
当然ジュースはもらえませんが、報酬を得るための時間を、サルは自分のために使ったのです。
この結果は、報酬に対する純粋な「やる気」と待ち待ち時間に対する耐久度が共にD1受容体およびD2受容体の働きとリンクしていることと、労力に対してはD2受容体のみに依存する独自の判断経路があることを示します。
同様の時間コストと労力コストに対する感受性の違いは、サルと進化的に近い人間にもみられるかもしれません。
同じ人間でも、限定商品のためならば何時間で並んでいられるという人が、ちょっとした手続きをおっくうがって、その商品を逃すこと(あるいはその逆)があるからです。
内容ごとに「やる気」を増やす薬ができるかもしれない
コスト内容に特化したヤル気薬は覚せい剤とは異なり、必要とする経路だけを活性化させられるかもしれない / Credit:Canva . ナゾロジー編集部
今回の研究により報酬と「労力コスト」「時間コスト」を天秤にかけてやる気を出させる回路には、少なくとも2つの仕組みがあることが示されました。
またそれぞれの仕組みには、2種類の異なるドーパミンの受け手(D1受容体とD2受容体)が関与することが示されます。
この仕組みは、時間コストに対してはD1受容体とD2受容体の両方がかかわりましたが、労力コストに対してはD2受容体のみが作用していました。
研究者たちは、これらの異なる意欲の調節機構が、異なるコスト内容に対応した脳の回路を反映していると考えています。
また研究結果は、うつ病や精神疾患などでみられる「やる気」や「意欲」の低下の理解にもつながると考えられます。
コスト内容に応じたドーパミン経路の回復ができれば、より精密な治療が可能になるからです。
あるいは経路を増強することで、わずかな意欲でも、辛いはずの仕事がスイスイと実行可能な夢のやる気薬ができるかもしれません。
参考文献
「ご褒美がもらえる」と「大変だけど頑張ろう」の2つの『やる気』システムを解明 〜うつ病の仕組みとその改善法を知る上で重要な手がかり〜
元論文
D1- and D2-like receptors differentially mediate the effects of dopaminergic transmission on cost–benefit evaluation and motivation in monkeys
提供元・ナゾロジー
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