「PTSD(心的外傷後ストレス障害)」が公式に報告されたのは、ベトナム戦争の退役軍人を調査したときが初めてです。
つまり、PTSDが世に知られ始めたのはごく最近のことで、それ以前の医師は、兵士のPTSDを「一時的なショック症状」とか「単なる戦闘の疲れ」として一蹴していました。
しかし、戦争の歴史は長いので、PTSDは遥か昔から存在したはずです。
そして、近年の研究により、最初のPTSDの記録が紀元前1300年頃のアッシリアの粘土板に記されていたことが明らかになっています。
「殺した相手の幽霊が見える」、古代兵士のPTSDとは
イギリスのアングリア・ラスキン大学、ロンドン大学クイーンメアリー校が『Early Science and Medicine』に発表した研究によると、PTSDの記述は、紀元前1300年頃のアッシリアの粘土板から発見されました。
アッシリアは、前3000年頃にメソポタミア(現在のイラク付近)にできた都市国家です。
前12世紀に、滅亡したヒッタイトから鉄器の製造技術を受け継いで有力国家となり、前9世紀には、メソポタミアの諸国家を統一して、西アジアの分裂時代を終わらせました。
論文著者のジェイミー・ハッカー・ヒューズ氏は、粘土板の中に「アッシリア兵の多くが、戦場で命を奪った相手の幽霊の姿や声を見聞きする」という内容が発見されたといいます。
これは現代のPTSDによく似た症状です。
PTSDは、心理的に受けた強いショックやストレスが長期的なトラウマになる精神疾患で、戦争や自然災害、事故、犯罪被害などが原因で起こります。
主な症状に、幻覚や幻聴、めまい、頭痛、不安症、不眠症があります。
ヒューズ氏は「この記述から、古代の兵士たちも心理的に回復困難なダメージを受けていたと見られる」と指摘しました。
アッシリア兵は1年置きに戦場へ送られた?
これまでの研究で、アッシリア王朝に入隊した兵士たちは、最初の1年間を軍事訓練に当てていたことがわかっています。
訓練には、戦闘術の修得のほかに、王朝のための道路や橋、その他インフラ設備の建設のような労働も含まれていたようです。
それを終えた兵士は1年間戦場に送られ、無事に帰ってくることができれば、1年間家族のもとに帰ることを許されました。しかし、休暇が終われば、再び戦場に派遣され、この1年置きのサイクルを延々と繰り返します。
その中で、多くの兵士が心に深い傷を負ったと見られます。
ヒューズ氏は「戦場では常に、無数の剣や槍、頭上から降りそそぐ巨岩や弓矢の雨にさらされていました。その上、今日のような医療技術もなかったため、外傷による死亡率も高かったはずです。
そうした死の危険性や仲間の死を目の前にして、PTSDに陥った兵士は数え切れないほどいたでしょう」と指摘します。
古文書のみを頼りにPTSDと診断するのは困難ですが、それでも人類が同種間の争いを初めて以来、心理的トラウマが兵士たちにつきまとったのは確かでしょう。
参考文献
zmescience
bbc
提供元・ナゾロジー
【関連記事】
・ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
・人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
・深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
・「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
・人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功