今やどこのスーパーマーケットに行っても必ずおいてある朝食の定番「コーンフレーク」と「グラノーラ」。

これらは19世紀末に、医師ジョン・ケロッグの療養所で発明されました。

すぐにピンとくるでしょうが、コーンフレークで有名なケロッグ社の名前はここから来ています。

ただ、ケロッグ社の創業者は弟のウィル・ケロッグであり、ここには兄弟の確執が見え隠れしています。

何気なく毎朝食べているコーンフレーク、それはいかにして世に誕生したのでしょうか?

目次

  1. 都市化が進んだ19世紀の食糧事情
  2. 朝食用シリアルの商品化を目指したウィル・ケロッグ
  3. グラノーラのアイデアを盗んだC.W.ポスト
  4. 失敗から誕生したコーンフレークと兄弟の決別

都市化が進んだ19世紀の食糧事情

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=産業革命により機会化された工場 / Credit:Wikimedia Commons、『ナゾロジー』より引用)

コーンフレークの誕生を語る前に、まずはこれが誕生した19世紀という時代の食糧事情について理解する必要があります。

18世紀半ばより起きた産業革命により、世界では急速な都市化が進んでいきました。

人々は農村を離れて、都市に建てられた工場で働くようになり、都市の人口が急激に増加しました。

ここで問題となったのが食料の確保です。

これまで自給自足で生活していた人々が、都市に集中し、食べ物を買って済ませるようになったため、食料の需要が大幅に高まったのです。

しかし、まともな保存料もなく、冷蔵庫も普及していない時代です。

市場の商人たちは、どこから来たのか出どころも怪しい肉や魚、野菜や果物を、腐っているのも気にせずに売りさばいていました。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=19世紀のニューヨークの市場 / Credit:lavanguardia/Así eran las ciudades a principios del siglo XX、『ナゾロジー』より引用)

牛乳の腐敗をごまかすために白い染料を混ぜたり、ホルムアルデヒドなど危険な化学薬品を保存に使うケースもありました。

さまざまな有毒物質を口にしたため、この時代は胃を痛める人が多く、胃がん患者の発生率は現代よりも高かったといわれています。

医師ジョン・ケロッグは、そんな時代に、ミシガン州パトルクリークで心身の治療を行うための療養所を運営していました。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=ジョン・ケロッグが管理していたバトルクリークの療養所 / Credit:en.Wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ジョンは非常に創意工夫に富んだ医師で、長期療養する患者たちに、独自の運動療法や食事療法を施していました。

当時では珍しいエクササイズなどを取り入れた独特の治療法は多くの資産家たちに好評で、トーマス・エジソンやヘンリー・フォードといった有名人も彼のもとを訪れていたといいます。

そのため、「バトルクリーク療養所」は世界中から人々の集まる人気の療養所でした。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=ジョン・ハーヴェイ・ケロッグの肖像 / Credit:Wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ジョン・ケロッグはかなり先進的な医学に対する考えを持っていて、タバコの肺に与える害についても早くから警告をしており、栄養のある食事をきちんと摂ることの重要性にも目を向けていました。

特に胃腸を痛めた人に、肉を与えるのはもってのほかだと考えていた彼は、この時代に多かった胃に不調を抱えた患者たちのために、消化に良い穀物をベースにした新しい食事を考案しました。

それが小麦粉やオート麦、トウモロコシ粉など複数の穀物の粉を焼き固めた後、ハンマーで粉々に砕いた新しい食品でした。

ジョンはこの新しい食べ物を「グラノーラ」と呼びました。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=焼き固められたブロックのグラノーラ / Credit:canva、『ナゾロジー』より引用)

これが現代でも朝食のテーブルに並ぶ、グラノーラのはじまりです。

現代では砂糖を混ぜて食べやすくされていますが、医師であったジョンはグラノーラに砂糖を混ぜるなんてとんでもないと考えていました。

ジョンは、この発明をあくまで医療行為の一環と考えていて、商品としてビジネス展開させることなど考えてもいなかったのです。

これを世界に名だたる朝食用シリアルへと発展させたのは、弟のウィル・ケロッグでした。

朝食用シリアルの商品化を目指したウィル・ケロッグ

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=ウィル・キース・ケロッグの肖像 / Credit:en.Wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ウィル・ケロッグはジョン・ケロッグの弟で、兄の療養所で働いていました。

幼い頃から優秀で賢かった兄のジョンに対して、弟のウィルは子供の頃から近眼だったため、遠くが見えず愚かな子だと思われていました。

今ではあまりピンとこない話ですが、昔は近眼の人というのは能力の劣った人という見方をされていたのです。

このため、両親はウィルの教育にはあまり力を入れず、大学にも行かせませんでした。

そのため、ウィルは兄からお情けで療養所の仕事をもらい働いていたのです。

しかし、だからといってウィルが無能な人間だったわけではありません。

ウィルは、療養所でジョンの助手として、材料の調達から事務作業まで幅広くこなし、グラノーラの開発にも尽力していました。

固くて食べにくかったグラノーラに牛乳をかけて食べるという方法を思いついたのも、ウィルです。

現代ではそれが標準的な食べ方になっていることを考えれば、彼がいかに優れた発想の持ち主だったかが伺えます。

この当時、朝食というのは当たり前のものではありませんでした。

食料が不足していたこともありますし、多くの労働者階級は両親共働きどころか子供まで働きに出るような貧しい暮らしをしていたため、朝わざわざ食事を用意する時間もなかったのです。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=19世紀の貧しい家庭 / Credit:1840/Theodor Hosemann画/Wikimedia commons、『ナゾロジー』より引用)

ウィル・ケロッグはそこに目をつけました。

「世の中の人々は、手軽で健康的な食事を求めている。そして、そのニーズに療養所のグラノーラはピタリと当てはまる商品になる」

火も使わず、暖める必要もなく、ただ牛乳をかけるだけで食べられるグラノーラは、まさにこの時代に求められている食べ物だと考えたのです。

そこでウィルは、兄のジョンにグラノーラの商品化を持ちかけます。これは療養所の大きな資金源になるはずでした。

しかし、ジョンはあくまでグラノーラは療養所の患者たちに行う医療行為の一環であり、金儲けの道具にするなど飛んでもないと拒否します。

ビジネス感覚に優れたウィルにとって、グラノーラは目の前に転がっているドル箱でした。けれど、そこに手を出すことは兄ジョンによって阻まれてしまうのです。

グラノーラのアイデアを盗んだC.W.ポスト

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=C.W.ポスト / Credit:en.Wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ウィルはめげずにグラノーラの改良に取り組んでいましたが、兄の反対で商品化することはできず歯痒い思いをしていました。

そんな中、バトルクリーク療養所に新しい患者がやってきます。

それが、失敗続きで心身を病んだ実業家CWポストでした。

CWポストはもともとあまり体が強くありませんでしたが、事業の失敗が続き神経衰弱に陥っていました。

そこで健康を取り戻すために療養所へやってきましたが、そこで彼はグラノーラに出逢うのです。

さまざまな発明に手を出していた実業家のCWポストは、ここでウィルと同じことを考えます。

そして、CWポストは退所するとき、ウィルが日々記録していたグラノーラの改良レシピと、グラノーラのサンプルを盗み出してしまうのです。

患者としてやってきたCWポストは、バトルクリーク療養所にとって産業スパイとなってしまったのです。

そしてCWポストは、ウィルがグラノーラの商品化に手をこまねいている間に、盗み出したレシピを使って「グレープナッツ」という世界初の朝食用シリアルを発売してしまうのです。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=CWポストが商品化したグレープナッツ(Grape-Nuts) / Credit:brandlandusa,Grape-Nuts Celebrate C.W. Post Heritage(2009)、『ナゾロジー』より引用)

ここでCWポストは、ウィルのレシピにさまざまな改良を加え、ジョンが頑なに拒否していた砂糖を混ぜて商品化します。

このため「グレープナッツ」という名称は、混ぜた砂糖(ブドウ糖)とナッツのようなザクザク感という意味が込められています。

これはまたたく間にヒット商品となり、CWポストは巨額の利益をあげました。

さらに、この成功を目の当たりにして、類似商品も次々登場したのです。

たちまちバトルクリークには、シリアル製造会社が乱立したのです。

まさにウィルの睨んだ通りの結果でしたが、残念なことにウィル本人は相変わらず商品化を反対する兄のせいで、この事業に手を出せずじまいでした。

失敗から誕生したコーンフレークと兄弟の決別

ここまでずっと登場するのはグラノーラで、肝心のコーンフレークの名前はぜんぜん出てきません。

実はコーンフレークは、グラノーラを作る際の失敗から誕生しました。

具体的にどのような失敗をしたのかは諸説あるのですが、あるとき、ウィルは厨房でグラノーラのために使う小麦を放置してダメにしてしまいます。

しかし、もったいないのでこの生地をローラーで引き伸ばしてみました。すると細かな薄片になったのです。

この薄片を焼いたものがフレークです。

これを療養所の患者たちに出してみたところ大好評だったため、ウィルはさらにこのフレークを作るのに最適なレシピを求めて研究を重ね、最終的にトウモロコシ粉を使ったときがもっとも出来がいいことを発見します。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=失敗から偶然発明されたコーンフレーク / Credit:pixabay、『ナゾロジー』より引用)

こうして誕生したのが、ケロッグ社の主力商品となるコーンフレークです。

ウィルはグラノーラのアイデア盗まれ、模倣者たちに大きく差を開けられてしまいました。

しかし、このコーンフレークを使えば、一気に状況を巻き返せると確信したのです。

問題は兄ジョンが、頑なに商品化を拒んでいることでした。

しかし、そんなウィルにとうとう転機が訪れます。

浴室の炉のトラブルが原因で、療養所が火事になりほとんどが焼け落ちてしまったのです。

コーンフレークは「医療行為のための食品」として生み出された! ケロッグ兄弟の意外な確執と歴史
(画像=1902年2月18日に起きたバトルクリーク療養所の火事 / Credit:en.Wikipedia、『ナゾロジー』より引用)

ジョンにとっては悲劇でしたが、これはウィルにとってはチャンスでした。

ウィルは、療養所にいた資産家たちに声をかけ資金を集めると、ジョンに療養所の再建費用を出す代わりにコーンフレークのレシピの権利をすべて譲渡するように交渉するのです。

療養所はジョンにとって人生をかけた仕事でした。

結局ジョンは療養所を再開させるため、この条件を飲みコーンフレークに関する権利のすべてを弟のウィルに譲るのです。

こうしてとうとうウィルは、ケロッグ社を立ち上げ、コーンフレークの商品化に乗り出すのです。

発売された商品は「ケロッグ コーンフレーク」の名で販売されます。

しかし、ここでも兄ジョン・ケロッグが邪魔をします。

ケロッグは医師としてのジョン・ケロッグによって有名となった名前です。そのため健康食品としてのイメージにもぴったりでしたが、それを弟のウィルが使うことに反対したのです。

しかし、ウィルも同じケロッグです。ウィルは結局ずっと避けてきた兄との全面対決を余儀なくされてしまうのです。

結局、ケロッグの名を使うことに関する兄弟の裁判でウィルが勝利します。

こうして、今につながるケロッグコーンフレークが世に広まっていくことになるのです。

スーパーに行けば大量に並んでいる朝食シリアル。

何気なく毎朝口にしている食事にも、こんな波乱に満ちたドラマが潜んでいるんですね。

ちなみに、CWポストはウィルのケロッグ社の台頭によって、プレッシャーから再び心身を病み、亡くなってしまいます。

その彼の莫大な遺産は娘のマージョリーが引き継ぎますが、彼女も優れた実業家で、彼女の事業はその後の現在のゼネラルフーズへとつながっていきます。

現代の食卓に並ぶ商品には、長く連なった歴史があると思うと、毎日の食事も少し感慨深いものになります。

参考文献
ザ・フード -アメリカ巨大食品メーカー


提供元・ナゾロジー

【関連記事】
ウミウシに「セルフ斬首と胴体再生」の新行動を発見 生首から心臓まで再生できる(日本)
人間に必要な「1日の水分量」は、他の霊長類の半分だと判明! 森からの脱出に成功した要因か
深海の微生物は「自然に起こる水分解」からエネルギーを得ていた?! エイリアン発見につながる研究結果
「生体工学網膜」が失明治療に革命を起こす?
人工培養脳を「乳児の脳」まで生育することに成功