ここ数年、アイスクライミングの競技人口は徐々に増え、登山に親しみのない人でもアイスクライミングと聞けば、およそどんなものかは想像がつくだろう。しかし、日本にはまだ一般的に知られていない、極上のスポットが存在する(らしい)。そのうちのひとつ、夏沢鉱泉周辺は、氷瀑も◎、アプローチも◎、さらに温泉付きの山小屋という3大特典を一気に味わえる、本邦初公開のエリアだ!
街から雪は消え始めたが、八ヶ岳の山奥にはキンキンの氷瀑がそびえる。
自然の氷瀑と聞くと、観光の対象として捉えてしまい、まさか登れるなんて……と思う人は多いだろう。数年前まで僕もそのひとりであった。
そんな僕がアイスクライミングを始めたきっかけは、とある先輩からガイド山行に同行しないかと誘われたことだった。当時ボルダリングをしていた僕は、同じ「クライミング」だし大丈夫だろう、と短絡的な思考で、その誘いに乗ることにした。
ろくな山道具もウエアもなかった僕は、山行前日にアウトドアショップへ行ったのだ。「アイスクライミングをしたいんで、ウエアと道具をください」とスタッフに尋ね、その日に振り込まれたばかりの給料と、なけなしの貯金を引き落とし、お会計を済ませた。
初めてのアイスクライミングを前に興奮したのか、それともジリ貧になったせいか、その日の夜はほとんど寝られなかった。
山行当日、いざ氷瀑を登ってみると、腕はぱんぱん、脚はまるで生まれたての仔牛のように小刻みに震えて、とてもじゃないけどかっこいい登りではなかった。事実、サングラスに隠れて涙がでそうになったほど悔しかったし、なにより疲れた。
それでも登っていくにつれ、氷にアックスやクランポンを打ち込む音が、雪山特有の静寂が、そして巨大な氷壁を登り切ったあとの征服感が、快感へと変わっていった。かくして僕のアイスクライミング人生は幕を開けたのだ。
しかしどうしても許せなかったことがあった。それは氷瀑までのアプローチ。もともと登山からは縁遠い僕は、歩くことが苦手。なんとか歩かずに、それでいて自然の氷瀑を登れないものかと考えていた。
そんなある日、とある取材を通じて知り合った山岳ガイド・水野隆信さんから信じられない知らせが届いた。「山小屋から歩いて15分、しかも未公開の氷瀑があるぞ。登り始めたのもここ数年だから、認知度も低いし人も来ない。そんな最高の氷瀑、登りに来ない?」
……これは行くしかない。聞けばそこは八ケ岳にある夏沢鉱泉という山小屋のすぐそばにあるとのこと。しかもその山小屋は車での送迎もあり、ほとんど歩く必要がない。それにおいしいご飯、そして温泉もあるという。
「氷瀑は大きいし、小屋に泊まれば2日間みっちりアイスクライミングを楽しめるぞ!」。やはり行くしかない。ガイドである水野さんがいれば百人力。断る理由はなにもない。
集合場所の駐車場には、水野さんをはじめ、カメラマンの杉村さん、そして水野さんが連れてきた紅一点、登山ガイドの佐藤怜奈さんがいた。
2月の八ヶ岳はとことん冷えているのだが、この日待ち受ける景色にソワソワしていた僕らには、そんなことはほんのささいなことだった。
迎えの車に乗り込んで、出発すると、徐々に雪山らしい風景に。木々は雪化粧をし、風が吹くとちりちりと雪が舞っていた。きっと僕らを歓迎してくれているのだろう。
氷瀑のすぐそばに、山小屋があるという安心感
夏沢鉱泉に到着すると、スタッフの人たちが出迎えてくれた。小屋の内部は決して広くはないのだが、暖炉があってリラックスできる空間だ。受付奥のキッチンから、おいしそうなにおいがする。
「まずはメシ食っちゃわない? カレーもハンバーグもあるよ!」。通常の登山では考えにくい、水野さんの余裕ある発言。
たとえば赤岳周辺でアイスクライミングをしようとすると、登山口から人工氷瀑のある赤岳鉱泉までは約3時間、その先にある自然の氷瀑を登ろうとすると、さらに1時間から2時間をアプローチに要してしまう。
食事は持参した行動食か、たとえ赤岳鉱泉で食べられたとしても、これほどのんびりすることはできないだろう。ごはんを食べながら、しみじみと感謝する。
いよいよ氷瀑へ、というところになって、このぬくぬくとした環境から抜け出したくないとまで思うも、「こっから15分だよ!」という水野さんの言葉に後押しされ、ハーネスやヘルメットなどを装着。すぐに登れる準備をして出発した。
それにしても、こんなところに氷瀑なんかあるのだろうか、それも山岳ガイドがおすすめするほどの、好条件の氷瀑が。というのも、周りを見てもその気配が感じられないのだ。登山道は木々に囲まれ、さらにその周りには森しか見えない。
すると、半信半疑になるのもつかの間、とあるポイントで水野さんが登山道から外れた。「ここからアプローチするんだよ」。水野さんが指した方向にあるのは、やはり森。ほかの登山者の足跡はなく、軽くラッセルをしながら進んでいく。なんだか、秘境に訪れているみたいだ。
ラッセルし始めてものの10分ほどで、第1の氷瀑が現れた。高さは5mを超えるほど。「ほかにも氷瀑は3つあって、それぞれ規模が違う。ここは一番小さいから、初心者は、まずここで練習かな~」
イイ、このひっそり感。そして歯ごたえのありそうなルート。八ヶ岳の氷は固く締まっているのだが、日陰で育ったここの氷は、どうやらその傾向も強そうだ。まずは肩慣らしだな、と水野さんが先導し、全員が気持ちよく登り切った。「本番は明日なんだけどね~♪ 次もいいんだよね~」
水野さんが陽気に案内してくれる。ガイドといっしょに山に登ると、安心感が増すだとか、自分の山行レベルの向上につながるだとか、いろいろな考えがあるだろうが、水野さんはエンターテイメント要素が強く、純粋にその山行を楽しむことができる。これはガイドの個性によるところもあるだろうが、僕はそこがお気に入りだった。
ふたつめの氷瀑は、最初よりも高さを増し、さらに2ピッチ登ることができるとのこと。つまり、1度氷瀑を登り切ると、その先にもうひとつの氷瀑があるということだ。1度で2度おいしい的なやつである。
気持ちいい程度に軽く腕をパンプしながら登り切った僕は、なんとも言えない爽快感でいっぱいだった。こんな素敵な場所を、貸し切り状態で楽しめるなんて……! 改めてありがたみを噛みしめていると、少し体が冷えてきた。「そろそろ小屋に戻ろっか?」。湯けむりが頭に浮かび、大きく首をタテに振った。
温かい食事と心温まる小屋のおもてなし
夏沢鉱泉に戻った僕らは、すぐさま温泉に入り、体を温めた。それほど冷えていないように思えたのだが、お湯につかると想像以上に体が冷えていたことに気が付く。しかし、お湯につかりすぎると、筋肉にあまりよくないと聞いたので、名残惜しくも湯船から出た。
着替えた僕らを待っていたのは、なんとシシ鍋。地元でとれたというイノシシの肉がふんだんに入っていて、気が付けば右手は缶ビールを手にとり、ガシュッ。「いっただっきまーす!」。全員が声をそろえる。鍋以外にもメニューは充実。この日使ったカロリーを取り戻さんとばかりに箸をすすめ、胃袋におさめていく。
この日は夏沢鉱泉を運営する硫黄岳山荘グループの社長・浦野さんも来てくれた。自身も登山ガイド資格を有しており、知識は豊か。ひとつひとつの言葉や、山小屋を運営する際のこだわりなどを聞くたびに、山への愛が感じられた。
いつの間にか、小屋のスタッフも酒宴に交わり、楽しい時間はすぎていく。温かい人たちがいる山小屋は、本当に居心地がいい。そうしているうちに飲みすぎたようで、翌日は7時に起きるも2度寝。まぁ、氷瀑も近いんだしいいよね?
いよいよ対面! 秘境の奥の大氷壁
メインの氷壁は、前日のエリアからもほど近く、やはり小屋からは10分とかからなかった。遠目から、「あ、あれだ!」と見えて近づいていくも、距離感がつかめない。あれ、これ結構大きくない?
その氷壁は10m前後だろうか、雪に埋もれてた下部にも氷が張っていて、かなり大きく見える。昨日同様に水野さんがトップロープを張り、2ルートを4人で登りまくった。スラブで登りやすいルートも、バーチカル気味でちょっといやらしいルートもある。それぞれのレベルに合ったルートでメインディッシュを遊びつくした。
自然の氷瀑に惹かれたのは、自然のエネルギーを感じられるからだ。自然に流れていた水が、自然に冷やされてできるルート。そしてそれとまったく同じものは存在しない。もちろん、同じ氷瀑であっても、年によってその姿は異なる。そしてルートは登り手にゆだねられる。なんて懐が広いのか。そうして僕は、今年の冬もまだ見ぬ氷瀑を目指して山へ行くのだ。
フィールドライフ 編集部
2003年創刊のアウトドアフリーマガジン。アウトドアアクティビティを始めたいと思っている初心者層から、その魅力を知り尽くしたコア層まで、 あらゆるフィールドでの遊び方を紹介。
CREDIT :
文◎糠田光海 Text by Mitsumi Nukada
写真◎杉村 航 Photo by Wataru Sugimura
提供元・FUNQ/フィールドライフ
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