ローマ帝国の偉業を伝える記録者ディオニュシオスは、ローマの異常な偉大さは三大インフラ事業に表れていると著書『ローマ古代誌』の中に記しています。
その三大インフラ事業の1つ、上水道として都市に水を運んでいたのが水道橋です。
当然ですが上水道は、清潔な水を運ぶことが使命です。しかし、古代ローマ人は一体どうやって水路の清潔さは保っていたのでしょうか?
ドイツのヨハネス・グーテンベルク大学マインツ(JGU)の研究チームは、当時最長だったヴァレンス水道橋の調査を行い、水路が放棄される数す年前まで洗浄されていて堆積物がほとんどないことを発見しました。
どうやらローマ人は水路を二重に用意することで、上水道を常時稼働させながらメンテナンスしていた可能性があるのです。
この研究の詳細は、5月6日に科学雑誌『Geoarchaeology』に掲載されています。
古代ローマの優れた建築技術の象徴「長距離水道橋」
紀元前1世紀後半から10世紀以上にわたって続いた、偉大なローマ帝国は現代から見ても非常に優れた建築技術を持っていました。
その技術力を象徴するのがローマの三大インフラ事業です。
古代ローマ人は、劇場や神殿などの建築物以外にも、上下水道と舗装道路といったインフラも整備していました。
舗装路は全長8万以上(地球2周分)もあったといわれ、都市には飲水や浴場に水を運ぶ上水道と排水路があったのです。
そして、離れた水源から都市に清潔な水を運んでいたのが、非常に巨大な長距離水道橋でした。
ローマ帝国のほとんどの都市には、水道橋から新鮮な水道水が十分に供給されていて、中には現在よりも大量の水が供給されていた場所もあったといいます。
この水道橋は、2000年以上の時を経た現代でも、南フランスのポン・デュ・ガールに代表されるように一部の遺構が残っています。
ローマの長距離水道橋は、現時点でも2000以上が知られていて、今後さらに発見される可能性があります。
長距離水道橋は現代の技術をもってしても建設することはかなり困難だろうと考えられています。
当時のローマ人はすでにクレーンなどの建築機器技術も持っていて、大規模な公共工事を実現させていました。
紀元324年、時のローマ皇帝コンスタンティヌスは、陸路と海路の交差するコンスタンティノープル(現トルコのイスタンブール)をローマ帝国の新しい首都に定めました。
しかし、コンスタンティノープルは地政学的には重要な位置にありましたが、淡水の供給に問題を抱える土地でした。
そこでローマ帝国は、都市から西60kmのち天にある泉から水を供給する新たな水道橋を建設しました。
その後も都市は発展を続け、5世紀にはさらに都市から直線距離で120km離れた泉まで水道橋は延長され、最終的に水道橋の総距離は426kmにもなったのです。
この水道橋は石とコンクリートで作られた巨大な水路で、途中に90の大きな橋、そして合計5kmに及ぶ複数のトンネルで構成されていました。
今回の研究は、このローマ時代後期のもっとも壮大な水道橋「ヴァレンス水道橋」の調査に焦点を当てています。
どうやって水路をきれいに保っていたのか?
マインツ大学の地質考古学者ギュル・シュルメリヒンディ(Gül Sürmelihindi)博士の研究チームは、この水道橋の流水中に形成された石灰岩(炭酸塩堆積物)を調査しました。
これはいわゆる水垢と呼ばれるようなもので、水道を使っていればどんどん堆積していきます。
しかし、調査の結果、水路内には薄い炭酸塩の堆積物しかありませんでした。
それはチームが見たところ、せいぜいが約27年程度の使用に相当する堆積量だったのです。
しかし、都市の年代記を見れば水道橋は少なくとも建設された4世紀から12世紀まで、700年以上機能していたことがわかっています。
つまり、ビザンチン帝国(東ローマ帝国)時代には、水道橋が機能しなくなる直前まで、水道橋全体がメンテンナンスされ、堆積物の除去がおこなれていた事を意味しています。
炭酸塩の堆積物は、どんどん溜まっていき最終的に水路を塞いでしまうので、たしかにときどき除去作業を行う必要があります。
しかし、総距離426kmもある水路を掃除したり修繕したりしていれば、都市住民への水の供給は最低でも数週間から数カ月はストップしてしまいます。
では、ローマ人はどうやってこの問題を解決して、水道橋の掃除をしていたのでしょうか?
水道橋は水源から50kmに及ぶ部分では、2階建てで上下に水路が走る二重構造なのが確認されています。
今回の研究は、この二重構造が水道橋の清掃やメンテナンス作業のために設置されていた可能性が非常に高いと考えています。
確認できる一部の水道橋では、4世紀に作られた水道橋を5世紀に立て直していることが確認されています。
そして、その際、もとの4世紀の水路を予備として残し、新しい水路を下に増設していました。
これは地震などの損傷に備えて残していたという考え方もされています。
しかし、今回の調査ではこの二重構造を利用して、ローマ人は水路の稼働を停止させずに片方のメンテナンスや清掃を行っていた可能性があるというのです。
「これは非常にコストの掛かるやり方ですが、実用的な解決策だったでしょう」
シュルメリヒンディ博士はそのように述べています。
このような水管理システムは、ローマ帝国のもっとも画期的な技術的成果です。
ただ、残念なことに、水道橋のほとんどは崩壊してしまっており、残っている遺構の中にも、トレジャーハンターに破壊されてしまったものなどがあります。
そのため、この水管理システムの正確な全貌を知ることはもはや不可能です。
しかし、その一端を見るだけでも、古代ローマ人の文明の高さ、豊かな時代の景色が垣間見えます。
参考文献
The Aqueduct of Constantinople: Managing the longest water channel of the ancient world(JGU)
元論文
Carbonates from the ancient world’s longest aqueduct: A testament of Byzantine water management
提供元・ナゾロジー
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