無意識的な条件付け訓練が、苦痛や恐怖に対する耐性を与えるようです。

2月23日に『scientific data』に掲載された一連のデータおよび、近年の複数の研究(1・2)によると、苦痛や恐怖などにかかわる脳の神経活動パターンを、繰り返し報酬と結びつけることで、トラウマの治療に成功したとのこと。

つまりパブロフの犬が、ベルの音を聞くだけで唾液が出るように訓練されたように、人間において、負の感情にかかわる神経活動を報酬と結びつけて、中和したのです。

しかも驚くべきことに、記憶と感情の条件付けが行われている最中、被験者たちは苦痛や恐怖を体験することはありませんでした。

つまり、全ては無意識で進行していたのです。

いったいどんな手順で、研究者たちは被験者の改変を行ったのでしょうか?

目次


嫌な記憶の「嫌」部分を無意識的な条件付けで改変することに成功!

悪用されれば心象が変質してしまう


嫌な記憶の「嫌」部分を無意識的な条件付けで改変することに成功!

辛い記憶や嫌な感情を条件付けでコッソリ改変することに成功!
(画像=研究者から求められた状態に脳の活動パターンを持っていくゲームを行い報酬をもらう経験を積み重ねると、その脳の状態が好ましいものだと刷り込まれていく / Credit:Toshinori Chiba et al (2019) . frontiers in Human Neuroscience、『ナゾロジー』より 引用)

心的外傷後ストレス障害(PTSD)をはじめとして、ネガディブな記憶はヒトの精神に持続的な負担を与えることが知られています。

しかし治療法は限られており、多くの人々が苦しみをかかえています。

そこで近年、研究者たちは問題の根本にある「記憶を治療」する新たな手法を開発しました。

この手法はまず、被験者たちに電気ショックを与えたり恐怖画像を見せたときの、脳の神経活動をMRIやEEGによって測定し、AIによってパターン化することからはじまります。

痛みや恐怖を感じた時に神経回路が発する特徴的な活動を解読して、痛みや恐怖のコードを作成するのです。

次に、被験者を再びMRIの内部に入れ、あるゲームをしてもらいます。

といってもゲームパッドやマウスを使うものではなく、精神を自己調節して、脳の状態を研究者が求めた特定の活動パターンに変化させるというものです。

求められた脳の活動パターンが、どんな感情と結びついているかは被験者たちには明かされませんでしたが、目標とする状態に達すると、報酬として現金が与えられることになっていました。

そのため被験者たちは、現金を求めて、何度も何度も脳活動を求められる状態に変化させました。

そうして、しばらく繰り返すうちに被験者たちの脳は、特定の活動パターンと報酬の関係を、パブロフの犬のように学び始めます。

この時、目的とした脳の活動パターンが「痛み」や「恐怖」から抽出したコードであった場合、非常に興味深い結果が導かれました。

なんと被験者たちは、実際に「痛み」や「恐怖」といったネガティブな刺激を与えられた場合でも、肯定的な(歓迎する)反応をみせるようになっていたのです。

また同様の実験をPTSDを患っている患者に行った場合、苦痛や恐怖にかかわるPTSDの症状が大きく緩和されることが明らかになりました。

この結果は、無意識的な精神の条件付けが、特定の感情に対する耐性を付与できることを示します。

またPTSDの患者などに対しては、トラウマの原因を再体験することなしに、記憶に刻まれた苦痛を修正できることを示唆します。

悪用されれば心象が変質してしまう

辛い記憶や嫌な感情を条件付けでコッソリ改変することに成功!
(画像=人に気付かれないまま心象を操作する技術の悪用は、破滅的な結果をもたらす / Credit:Canva,ナゾロジー編集部、『ナゾロジー』より 引用)

一連の研究により、無意識のうちに特定の感情に対する耐性を高めたり、感情にかかわる記憶(トラウマなど)を修正できることが示されました。

この技術(DecNef)を用いれば、人々が全く気付かないうちに、心象表現を部分的に変更することが可能になります。

そのため悪用された場合は、嫌だった人を好きにさせ、好きだった趣味を嫌いにさせるといった、精神的プライバシーを勝手に変更されるという事態をまねきかねません。

これはクレジットカードの記憶を盗まれるより、はるかに甚大な影響を与えます。

そのため研究者たちは、医療目的以外での、操作技術の使用を規制する法律が必要だと提言しています。

参考文献
CAN DECODED NEUROFEEDBACK ERASE OUR BAD MEMORIES?

元論文
The DecNef collection, fMRI data from closed-loop decoded neurofeedback experiments

Current Status of Neurofeedback for Post-traumatic Stress Disorder: A Systematic Review and the Possibility of Decoded Neurofeedback

Towards an unconscious neural reinforcement intervention for common fears

ライター:川勝康弘
大学で研究生活を送ること10年と少し。 小説家としての活動履歴あり。 専門は生物学ですが、量子力学・社会学・医学・薬学なども担当します。 日々の記事作成は可能な限り、一次資料たる論文を元にするよう心がけています。 夢は最新科学をまとめて小学生用に本にすること。

編集者:KAIN
大学では電気電子工学、大学院では知識科学を学ぶ。ナゾロジーでは趣味で宇宙関連の記事を書くことが多いです。そして特に求められていなくても、趣味でアラフォーに刺さるアニメ、ゲームネタを唐突にぶっこむことも。 科学が進歩するほど、専門分野は先鋭化し、自分と無関係な知識に触れる機会が減ります。しかし、自分には解決の糸口も見えない問題が、ある分野ではとうに解決済みの話かもしれません。問題を解決させるのはいつでも新しい知識とのふれあいです。先人の知恵、最新の発見、それが誰かの抱える問題解決の助けになるよう、現在は科学ライターとして活動中。

提供元・ナゾロジー

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