新型コロナウイルスに対して、私たちはいつからか「コロナ禍」という言葉を使い始めるようになりました。
この「禍」という馴染みのない文字は「まがまがしい(禍々しい)」などの表現に使われ、より邪悪な状態を表します。
そんなコロナ禍を薙ぎ払う聖なる剣として期待されているのが「ワクチン」です。
ワクチンについては既に多くのメディアで仕組みや働きが紹介されていますが、人体を使った臨床試験にあるものだけでも数十種類、開発中のものを含めると100種類を大きく超えます。
毎年接種される方も多い「インフルエンザウイルスワクチン」は、その年に接種される種類が数種類に限られています。
にもかかわらず、なぜ新型コロナウイルスに対するワクチンだけが、こんなにも数多くの種類があるのでしょうか?
目次
何がワクチンになるのか?
ワクチンの歴史
20世紀の2種類のワクチン
未来型ワクチンは遺伝子を使う
発生源とされていた中国よりも欧米で感染が広がっているワケ
マスクを手放すのが先か、マスクをしなかった日々を忘れるのが先か
何がワクチンになるのか?
疑問に答えるためには、そもそもワクチンが何であるかを知らなければなりません。
もっとも、多くの人にとって答えは既にありきたりであり、何度も繰り返された内容でしょう。
「ワクチンは免疫の訓練」
「二度かからなくなるための記憶装置」
「免疫ではたらくT細胞やB細胞がかかわる複雑な機構」
などなどです。
しかし、もし森林浴や海水浴、ペットとのふれ合いですらワクチンになる可能性があるとしたら、意外に感じるでしょうか?
あるいは、過去にワクチンによって逆に病気が流行ってしまった事例があったとしたら?
さらに、最も古いワクチンは病魔に侵された皮膚のカサブタだったと知ったら驚くでしょうか?
ワクチンに対するなじみの文言が、急に不安に思えてきたかもしれません。
もしそうなら、いま一度「ワクチンとは何か」を考えてみるのもいいでしょう。
まずはワクチンの歴史から紹介していきます!
この記事を読めばワクチンとは何か、誰かに説明できるようになるでしょう。
ワクチンの歴史
ワクチンの歴史と切っても切れない存在として「天然痘ウイルス」が存在します。
この天然痘ウイルスも、元は新型コロナウイルスと同じく動物のウイルスであったものが、変異して人間に感染するようになったものです。
天然痘にかかると酷い頭痛や高熱になるだけでなく、肌がただれて膿が溜まり、人間の皮膚に豆粒上のイボを多数作ります。
一方、感染を生き延びた人間は、二度と天然痘にはかからないことが、古くから知られていました。
この不思議な現象を利用して、本番になる前に、「なんとか一度感染したことにできないのだろうか?」と古代の中国の人々は考えました。
その結果、患者の皮膚から零れ落ちたカサブタを乾燥させて食べるというショッキングな行動を実行します。
しかし一見して安直過ぎるような「プチカニバル(カニバルは人食の意味)」は、有効な方法でした。
カサブタの中で乾燥した天然痘ウイルスは、一種の「死にかけ」の状態にあり、食べて飲み込むことで免疫を安全に訓練して一度感染したことと同じ効果を与えることができたのです。
ただし、運がよければの話です。
カサブタの中のウイルスがちょどいい「死にかけ」ではなく、感染する能力を残していた場合、
となり、死ぬこともありました。
状況が大きく変わったのは、1700年代の後半、産業革命が起こりつつあるイギリスに天然痘が再流行したときでした。
この時期になると、天然痘は人間だけの病気ではなく、ウサギ、サル、ウシ、そして天然痘ウイルスの発生源であるラクダでも発症することがわかりました。
またウシやラクダから種をまたいで天然痘をもらった場合、症状が軽く済むだけでなく、人間で流行っていた天然痘にもかからなくなることを発見しました。
「ウシやラクダの天然痘は、人間に対して効率的に感染することができなかった上に、人間の天然痘に対しても『一度感染したこと』になる効果を持たせるに違いない」
イギリスの医師、エドワード・ジェンナーはそう確信し、自分の家の使用人の息子である8歳の少年に対して人体実験を行いました。
ジェンナーは最初に少年の体にウシの天然痘を感染させ、少年が生き残ると、次に人間の天然痘を感染させます。
この時点では、少年が死ぬ可能性があることは明白でした。
しかし幸運なことに、実験は成功。
少年は人間の天然痘にかかっても無症状で生き残ります。
ジェンナーは結果の万全を期すために、その後、繰り返し少年に人間の天然痘をうつしますが、少年に変化はみられませんでした。
少年の体はウシの天然痘にかかったことで免疫にウイルスの情報が刻み込まれ、人間の天然痘に感染しても即座に排除することができたのです。
そしてこの種の壁をまたいで一度感染したことになる方法は種痘法と命名されました。
この功績を讃えるためイギリス議会はジェンナーに対して賞金を贈り、後の世で彼は「近代免疫学の父」と呼ばれるようになりました。
ちなみにワクチンの語源がラテン語で雌牛を意味する「vacca」であるのも、ウシの天然痘を利用した種痘法がワクチンの第一歩だったからです。
20世紀の2種類のワクチン
ワクチンの歴史からわかるように、ワクチン開発の最重要部分は、いかにして安全に「一度感染したこと」になるかにあります。
古代中国ではカサブタの中で死にかけになった天然痘ウイルスを食べ、近代免疫学の父ジェンナーは人間への感染能力が限定的なウシの天然痘を用いることで、この安全条件をクリアしようとしました。
では、現在のワクチンではどのような手段が用いられているのでしょうか?
まずは代表的なインフルエンザワクチンです。
インフルエンザウイルスは新型コロナウイルスと同じように膜を持つ球形のウイルスであり、上の図のように膜の表面にある「スパイク」と呼ばれる突起部分で人間の細胞に結合して、感染を引き起こします。
そこで研究者たちは、「ウイルス本体を分解して、スパイクだけを体内に注射したらどうだろうか?」と考えました。
スパイクのみの注射にはウイルスの遺伝情報がはいっていないために、ウイルスは絶対に増殖できません。
その一方でスパイクが細胞の表面に取り付くことで、形だけは感染がはじまったとして免疫に認識され可能性があったのです。
実験を行った結果は、大成功でした。
人間の免疫はスパイクを異物と認識して免疫に情報を記憶させ、本物のインフルエンザウイルスが体内に入り込んでも記憶したスパイクの情報を元に、素早く排除することができたのです。
インフルエンザワクチンのような死んだウイルスの体の一部を利用したワクチンは「不活性化ワクチン」(ウイルスが死んで不活性化しているから)と呼ばれています。
不活性化ワクチンは非常に安全性が高く、多くの感染症の主流なワクチンとなっています。
しかし残念なことに、常にウイルスの体の一部だけで免疫記憶が完了するわけではありません。
ハシカやみずぼうそう、おたふくかぜといった病気を引き起こすウイルスに対して免疫記憶をもたせるには、ウイルスの体のかなりの部分が必要となります。
このような場合は次善の策としてウイルスを「死にかけ」状態にしたワクチン(通称:生ワクチン)を使うことになります。
といっても、技術の進歩により「極度の死にかけ」状態を作ることが可能になっており、古代中国のようにイチかバチかのギャンブルは必要ない…と思われていました。
しかし人類はウイルスの生存能力を甘く見ており、手痛いしっぺ返しを受けることになります。
それが冒頭であげた、ワクチンによって逆に病気が流行ってしまった事例です。
具体的にはポリオワクチンを接種した結果、ポリオに感染が広まってしまったという事例になります。
問題となったワクチンはポリオウイルスを「死にかけ」にしてタブレットの中に封じ込め、口から接種するというタイプのものでした。
この手の経口摂取可能なワクチンは製造費用が安く補完が容易なために、貧しい地域は重宝な存在です。
しかし変異によって生存能力を増したウイルスはワクチン内部で生き残り、人間の腸の中で復活して、糞便に混じって外部に脱出。
そして不衛生な環境下で水に混じって再度人間の体内に侵入し、ポリオを発症させました。
現在、ポリオに対するワクチンは危険な生ワクチンから不活性化ワクチンへの転換が進められていますが、常に進化するウイルスは、人間の僅かな油断も許しません。
ですが進化と変異はウイルスだけの特権でないのです。
人間の技術力も進歩し、より高度なワクチンが開発されはじめています。
それが「新しい未来型のワクチン」です。
未来型ワクチンは遺伝子を使う
ウイルスの体の一部や全体を使うのが従来型(20世紀)のワクチンである一方、現在開発されている未来型のワクチンは、ウイルスの遺伝子を使います。
ウイルスの遺伝子を体内に入れるのは危険ではないか? と考える人は多いですが、大丈夫。
人体に入るのはウイルスの遺伝子の全部でなくて、一部だけです。
人間に存在する46本の染色体のうち、1本だけ残されても絶対に「人間ができない」のと同じように、いくら変異能力が高いウイルスでも限界があります。
もっとも、大半の遺伝情報が取り除かれた状態ではそもそもウイルスはまともな体が作れないため、ワクチンの基本である「一度感染したこと」にして免疫を訓練することはできませんでした。
しかし遺伝工学の進歩は、不可能を可能にしたのです。
この新しい方法はまず、上の図のように新型コロナウイルスから遺伝子を取り出し、目的となるスパイクの遺伝子のみを集めることからはじめます。
そして次に、図のように集めたスパイクの遺伝子を人間の細胞に輸送する「乗り物」に組み込みます。
この乗り物にはいくつか種類があり、遺伝子の状態によって最適な乗り物が選ばれます。
そして乗り物に乗って体内に入ったウイルスの遺伝子は、人間の細胞にウイルスの体の一部(スパイク)を作らせることで、免疫に感染が起きたと錯覚させ、ウイルスの情報を記憶させます。
この手法をとるワクチンとして知られるのが、オックスフォード大学・モデルナ・ファイザー・アストラゼネカが開発中のワクチンです。
未来型ワクチンは既存の方法よりも製造に高度な技術を要しますが、ウイルスの情報を免疫により効率的に記憶させることが可能です。
発生源とされていた中国よりも欧米で感染が広がっているワケ
現在、新型コロナウイルスに対して数多くのワクチンが開発されています。
数が多い理由の一つとして、その多くが未来型ワクチンとして開発されているからです。
分解したウイルスの体の一部を使うか全部を使うかしか選択肢がなかったかつてとは違い、ワクチン設計の設計概念そのものが数多くの種類に分化しているのです。
しかし、手段や設計概念が変わっても、免疫にウイルスの情報を教え込んで「一度感染したこと」にするという根本は維持されたままです。
これは冒頭で述べた自然や動物とのふれ合いがワクチンになる理由でもあります。
自然や動物との接触は雑多なウイルスを人体に経験させ、多くのウイルスに対して一度感染した状態にすることが可能になるのです。
免疫が記憶するウイルスの母数が多ければ、将来の致命的なウイルスに対しても免疫の防御成功率の上昇につながります。
同じような仕組みで、病原菌の発生源との近さも、広い意味でのワクチンになりえます。
病気の発生源に隣接した生活は継続的な感染を引き起こしますが、その全てが致命的とは限らず、多くは無症状か風邪レベルですみます。
新型コロナウイルスも発生源である中国や周辺のアジアでは比較的早い立ち直りをみせた一方、アメリカやヨーロッパでの被害が増しています。
その理由は発生源の近くでは何度も小さな感染が起こり、今回の新型に対しても中国に近い国ほど「一度感染したこと」に近い効果を発揮できたからだと考えられます。
日本の感染被害が比較的軽いのも、距離の効果と無関係ではなさそうです。
近年行われた日本の科学者による研究では、新型コロナウイルスに感染しても軽症ですんだ日本人の免疫は、新型コロナウイルスに対して一度感染したことがある反応を示したとされています。
同じような発生源からの距離の近さがワクチン的にはたらく事例は、人間以外の動物や植物でもみられます。
マスクを手放すのが先か、マスクをしなかった日々を忘れるのが先か
現在、多くの人々はワクチンさえできれば、新型コロナウイルスが引き起こす問題を、何もかもを解決してくれると考えています。
開発されたワクチンが予定通りの効果を発揮すれば、確かにそうなる部分もあるでしょう。
しかしウイルスには優れた変異能力があり、絶滅させることは極めて困難。
近縁のSARS(サーズ)やMERS(マーズ)は変異の果てに無毒化して人々の記憶から薄れていきましたが、新型コロナウイルスも同じような道を辿るとは限りません。
インフルエンザウイルスのように型を変えながら毎年襲ってくる可能性もあります。
人類がマスクを手放す日が来るか、またはマスクをしていなかった日々を忘れるのが先か…。
ワクチンが開発されても日々の感染予防を継続する必要があるのかもしれません。
参考文献
TheNewYorkTimes
提供元・ナゾロジー
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