現在は大リーグのロサンゼルス・エンゼルスで活躍する大谷翔平選手、2017年まで5年間在籍した日本ハム時代は投手として通算45勝、野手として通算296安打、48本塁打を記録しています。

そんな大谷翔平投手をも超える選手が、プロ野球界にかつて存在していたことをご存知でしょうか? (戦前の1リーグ制時代は選手が不足し投打二刀流の選手は数多くいましたので、2リーグ制以降に限ります。)

投手として通算65勝94敗、野手として通算1137安打、59本塁打を記録しているその選手とは誰でしょうか?

正解:関根潤三

1927年生まれの関根は、旧制日大三中(現在の日大三高)、法政大学を経て1950年にこの年に設立された近鉄パールス(2004年にオリックスに吸収合併)に入団、設立したばかりの弱小チームで1953年から3年連続2ケタ勝利を記録するなど、主力投手として活躍、1953年にはオールスターゲームにも出場しています。

その一方で、打者としても活躍、1952年、53年には規定打席には遠く及ばないものの打率3割を記録しています。

そんな関根に転機が訪れたのは30歳となった1957年シーズンのこと、入団2年目から続く肩の痛みと戦いながら投げていた関根でしたが、ついに音を上げ投手を断念、野手に転向を決意します。

すると同年、初めて規定打席に到達し打率.284を記録、野手としてもレギュラーに定着します。 その後、1962年には打率3割、63年には12本塁打を記録、そして野手としてもオールスターゲームに4度出場しています。

投手・野手両方でオールスターゲーム選出は大谷翔平が2013年に野手、14年に投手として選出されるまで長らく関根のみの記録でした。

関根がその後1965年まで現役を続け、前述の成績を残して引退、引退後は横浜大洋ホエールズ(現在の横浜DeNAベイスターズ)、ヤクルトスワローズの監督を務め、特にヤクルト監督時代は自身が育てた広沢克己、池山隆寛らの若手野手が後任の野村克也監督のもとで大成する礎を築きました。

その後は野球解説や『プロ野球ニュース』での穏やかで優しく語る好々爺的な存在が印象的でしたが、2020年4月9日に惜しまれながら93歳で逝去しました。

謹んでご冥福をお祈り申し上げたいと思います。

提供元・QUIZ BANG

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