僧侶になるためには修行(言い方様々だが、わかりやすくこう統一する)を受けるわけで、当然ながら私もその経験がある。

浄土宗では、私のように大正大学・仏教大学の学部以外に属したものは、夏季の養成講座を3回(3週間×3年、当時)受けて、最後の本山の修行(冬季3週間)に臨む。そこから数年後に希望者は1週間かけて受けるものがあるが、これは任意とされている。また、これらの内容については決して口外しないことを定められているため、具体的なことは記すことが出来ない。

下山後には「座禅したのか」や「滝にうたれたのか」などとよく聞かれるのだが、宗派的に座禅はしないし、滝にもうたれない、寒中に井戸水もかぶることはない。何かと冷水に結びつけられる由来は何なのだろうか。それはさておき、修行はそれなりに大変ではあるが、念仏宗のものは大分に優しい。高校大学の部活のほうが余程きつかった。

しかし、途中で断念したら死ななければならない、そんなハードな修行が現在も残っており、実践する人もいる。平安時代前期の僧・相応が創始したという、天台宗の総本山・比叡山延暦寺に伝わる「千日回峰行(せんにちかいほうぎょう)」がそれである。

この行の携行品には短刀と紐があり、継続できなくなった場合に自害するためのものだ。これを達成した酒井雄哉大阿闍梨は、死体となった場合の片付け手間賃として10万円も携行したという。

その修行の具体的内容だが、これも非常に厳しいものだ。

まず、トータルでかかる年数は7年。そのうちの3年までは1日約30kmの行程を歩きつつ、途中の約260箇所あるポイント全てで礼拝を行う。これを年間100日行う。毎日ではないとはいえ、歩くルートは山道で、出発は午前2時という過酷な条件だ。出で立ちも動きやすいジャージに運動靴などではなく、桧笠(未開の蓮華をかたどったもの)・白装束(生死を離れる意味)・草鞋(八葉蓮華)という、死装束さながらのものだ。さらに、4年目・5年目に入ると日数が倍の200日になる。

ここまでを体力・気力で成し遂げたとしても、最後の2年に入る前に「堂入り」という、本当に生命の危険がある行に入る。これは9日間行われるのだが、比叡山中の明王堂にこもり、その間は「断食・断水・不眠・不臥(横にならない)」で、お供えの水を汲みに行くのと、三座ある勤行の時間を除いて不動真言を唱え続けるものだ。この目的は不動明王と一体となることとされ、この修行の最大の難所ともいえる。5日目からは口をゆすぐことがみとめられるが、はき出した水が減っていないか厳密なチェックが行われる。人間の飲まず食わずは1週間程度が限界といわれるが、それを超えて、まさに生きながらにして不動明王となるような厳しさだ。

堂入りを終えた6年目はこれまでの行程に京都の赤山禅院への往復が加わるため、距離は倍の約60kmになる。これを100日行う。最後の7年目は200日行うが、前半100日は6年目の行程+京都市内の巡礼で距離が約84kmになる(京都大廻り)ものの、最後の100日は1年目と同じ比叡山中のみの約30kmとなる。

ここまでの行を成し遂げた者は「北嶺大行満大阿闍梨」の称号を受けるほか、京都御所に土足で参内し、世界平和のための加持祈祷を行うことができるようになる。土足の理由も諸説あるようだが、それよりも当時の権力などを考えるといかに凄いことかわかるだろう。

このような無茶ともいえる修行だが、達成者は21世紀に入っても存在する。2017年に満行した釜堀浩元大阿闍梨が直近だ。

中には生涯で2度も達成した人物もいる。先に出した酒井雄哉大阿闍梨がそうだ。2度目の修行に挑んだ理由とは「終わってしまって暇だった」だそうだ。実際に、1980年に満行した半年後に再度挑み、1987年に2度目の満行を迎えている。

さすがにこのような修行に挑む覚悟のある人間はそういないだろうが、近年は「一日回峰行」として、延暦寺が1泊2日の体験を実施しており、結構な人気を博している。もちろん足をくじいても自害する必要はないので、興味のある方は一度体験してみるのは如何だろうか。

比叡山延暦寺

提供元・QUIZ BANG

【関連記事】
明治時代、日本人が発見した元素は?
天文学者って何をしているの?
タルト・タタンは何から生まれたお菓子?
ディズニーは「スペースマウンテン」。それに対してUSJは?
『このマンガがすごい!』で2年連続1位を受賞している作品は何?