2020年12月4日に『鬼滅の刃』の最終巻が発売された。完結自体はそれなりに前だが、ようやく単行本派の人も結末を知れたことだろう。アニメで追いかけている人は先が長い話になるが、そろそろ内容を扱っても問題なさそうなので、今回はその最終回をテーマとしたい。

なお、最終回では「輪廻転生」の言葉も出ていたが、他にも作中には仏教思想を感じるところが随所にある。別の機会にそれらについても触れていく予定だ。

まず、最終回の内容だが大雑把にまとめるなら「多くの人が辛い思いをしたし亡くなってしまったりもしたけど、みんな平和な時代に生まれ変わって楽しく平穏に生きています」といったところだろうか。

一見するとかなりご都合主義的で強引にまとめたようなハッピーエンドで、週刊少年ジャンプ掲載時から否定的な声も多かったようだ。今も「鬼滅 最終回」まで検索したところ、サジェストで「ひどい」というのが上位に来ていた。

直前の鬼舞辻無惨との総力戦や、まだ気の抜けない炭治郎が強力な鬼になりそうなシーンからすると落差があるのもよくわかる。

しかし、この締めは浄土教系の思想が色濃く表れていることが感じられ、個人的には非常に良い終わり方ではないかと思う。

以前に書かせて頂いた記事(『鬼滅の刃』に出てくるお経の意味はどんなもの?【前編】)で、淨土三部経のひとつである『阿弥陀経』というものが作中に登場していることを紹介した。

この経中の真ん中あたりに「倶会一処」という文言がある。「倶(とも)に一処(ひとところ)で会う」と書き下すが、簡単にいうと「亡くなった人は、極楽浄土でこの世で縁を結んだ人のことを待っており、いずれ自身が往生したときに再び会うことができる」という意味だ。

非常に重要な文言であるため、浄土系の宗派の方なら葬儀の後の話などで聞いたことがあっても珍しくはない。私も葬儀後の法話は、式中にこの経を読むということもあり、基本的にこれである。

鬼のいなくなった平和な現世を極楽浄土になぞらえれば、端役を含めたあらゆるキャラクターが平和な世を満喫して笑って過ごしていることは、まさにこの「倶会一処」の思想そのものだ。

そもそも、漫画なり何なりでお経を出すなら『般若心経』が知名度や文字数的にもファーストチョイスになるだろう。実際に多くの宗派で唱えるものだし、解説なども一般的なものからかなり砕けたものまで複数だ。また、意味は知らなくても「羯諦。羯諦。波羅羯諦。…(ぎゃーてい。ぎゃーてい。はらぎゃーてい。)」の部分だけは知っているという人もいるだろう。

しかし、そこで敢えて一般的な知名度ではかなり落ちる『阿弥陀経』を持ってきたのは、先述の浄土思想的な側面があったのではないかという印象だ。

もう一点、敢えて現世というのもポイントのひとつといえる。平和な時代を極楽になぞらえたとも解釈できるが、浄土教には「還相回向(げんそうえこう)」という思想がある。これは、極楽浄土への往生を得た後、苦しむ人々を救うため、再びこの世に帰ってくるというものだ。

魏晋南北朝時代の北魏の皇帝からの信用も厚かった僧・曇鸞(どんらん)の著作である『往生論註』には「還相とは彼の土(極楽浄土)に生じおわって、奢摩他(しゃまた、心の乱れを治めて静寂・集中した状態にあること)、毘婆舎那(びばしゃな、心を静めた状態から事物を正しい智慧で観察すること)を得て、方便力(衆生を導く智恵)を成就しぬれば、生死の稠林(ちゅうりん、煩悩が生じてしまうことのたとえ)に回入し、一切の衆生を教化して共に仏道に向かう」とある。

本来は悟りを得て苦しむ人に仏教の教えを説くという話ではあるが、さすがに全員僧侶にするわけにはいかない。それぞれが個性を活かした生業で人を楽しませたり世を回していることは、こうした思想の表現かもしれない。

現在公開中の映画も演出などが素晴らしいようで、非常に評価が高い。そうした印象的なシーンを楽しむのも一興だが、仏教思想的側面を考察するのも面白い。完結はしたものの、まだまだブームは続きそうではあるし、個人的にももっと読み込んでみたいところだ。

文・遠藤和成/提供元・QUIZ BANG

【関連記事】
明治時代、日本人が発見した元素は?
天文学者って何をしているの?
タルト・タタンは何から生まれたお菓子?
ディズニーは「スペースマウンテン」。それに対してUSJは?
『このマンガがすごい!』で2年連続1位を受賞している作品は何?