プロ野球ではしばしば「記録よりも記憶に残る選手」という表現が使われます。
目立った記録はないものの強烈な記憶といえば、1970年代の速球王・山口高志(阪急)、1980年代に代打で活躍した川藤幸三(阪神)、1993年に強烈なインパクトを残すも故障に泣いた伊藤智仁(ヤクルト)、最近だと斎藤佑樹(日本ハム)あたりでしょうか。
一方、記憶面では目立った活躍はないものの記録に残る選手というのもいます。
その中で「パ・リーグ平成第1号本塁打」「プロ野球通算6万号本塁打」「パ・リーグ通算3万号本塁打」など、メモリアル本塁打を数多く打っている「記憶よりも記録に残る選手」とは誰でしょうか?
正解:広永益隆(ひろなが・やすたか)(南海・ダイエー-ヤクルト-オリックス)
徳島商業高校から1985年ドラフト3位で南海に入団した広永は、入団4年目の1989年、この年から南海に代わり誕生した福岡ダイエーホークスの開幕戦で、「プロ初打席本塁打」を記録、そしてこれが「パ・リーグ平成第1号本塁打」また「ダイエー球団の初本塁打」で、これがのちの「記録にのこる選手」を予兆させる本塁打ともいえます。
1990年には「プロ野球通算6万号本塁打」、1992年には「パ・リーグ通算3万号本塁打」とメモリアル本塁打を次々とたたき出します。
その後、1995年にヤクルト、1997年にはオリックスにいずれもトレードで移籍しますが、ここでも代打の切り札として活躍します。
通算本塁打数34本は特筆すべき数字ではないものの、上記のメモリアル本塁打の他
・通算代打本塁打14本(歴代7位)
・開幕戦初打席本塁打(史上初)
・代打の代打でサヨナラ満塁本塁打(史上初)
・両リーグで代打サヨナラ本塁打(史上2人目)
とまさに記録に残る選手にふさわしい活躍といえます。
このような記録にのこる選手が今後登場するのか、楽しみにしたいと思います。
文・尾林衡史/提供元・QUIZ BANG
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