市長になると、昼の議論で誰を追放するかを決定する権利を握ることになります。

GPT-5はこの立場をうまく利用して、「論理的で公正な進行役」というキャラクターを完璧に演じました。

発言や投票の際に、明確な理由を求める「手続き重視」の姿勢を取ることで、理由のない主張が疑義を持たれやすくなる印象を与えました。

その結果、人狼役のGPT-5自身は理路整然とした理由付けで嘘を隠せる一方、真の村人たちは根拠が十分でないがゆえに、かえって疑われる状況が多く発生しました。

実際、GPT-5が人狼だったゲームでは、無実のAIが村人側から間違って処刑されることも少なくありませんでした。

GPT-5は常に冷静で、一貫した戦略で相手を翻弄し続けたのです。

逆に、他のAIモデルには「機械的なくせ」が表れてしまい、それが弱点になりました。

例えばあるモデルは、人狼のペアになった相手が疑われたとき、過度に似た論理や同じような言い回しで相手をかばってしまったため、その不自然さが「人狼の手がかり」となって見破られてしまいました。

こうした単調で機械的な反応と、GPT-5のまるで人間のような柔軟な対応との差が、結果に大きく影響したのです。

嘘をつき、嘘を見破るAIたちの時代

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Credit:Canva

AI同士が人狼ゲームを戦った今回の結果は、単にAIがゲームで勝てるようになったという以上に深い意味があります。

それは、AIがいよいよ人間同士が得意としていた「嘘をつく」「嘘を見抜く」といった、高度な心理的スキルを持ち始めたことを示しているのです。

これまでのAI研究は、難しい計算を素早く解いたり、多くの情報を覚えたりする能力ばかりが評価されてきましたが、今回の人狼ゲームを用いた実験は、AIの「社会的知能」という新たな側面に光を当てる画期的な試みでした。

先に行われた似たような研究(「Werewolf Arena」)では、AIがゲーム中に発言する順番を「入札」で決めるなど、独特な方法でAIの社会的能力を測定しようとしていました。