右側に目を転じると、北部でもメリーランドには十三植民地中4位の6万3800人、ニューヨークには5位の1万9000人という奴隷がいたのですが、北部全体で奴隷の資産価値は年収の5%程度にとどまっていたのに対して、南部では年収の3倍近い資産価値となっています。
そして、サウスカロライナの7万5000人、ジョージアの1万5000人という奴隷人口は植民地内総人口の6割を超え、バージニアの18万8000人弱は総人口の40~60%に達していたのです。とは言え、黒人奴隷人口が白人人口の3倍とか4倍というほど多かった植民地はなかったと推定できます。
それでいて、黒人奴隷の資産価値が年収の3倍分に達していたという事実は、黒人奴隷の労働生産性がいかに高かったかを物語っています。しかも、黒人奴隷の資産価値は労働生産性以外の要因からもさらに高くなっていたのです。
次の2段組グラフをご覧ください。
上段は、奴隷所有者は奴隷の全人格を所有しているわけですから、黒人奴隷の労働によって創出した価値は所有者の労働収入の増加分となることを示しています。
そして、奴隷ひとりを所有することによる労働収入増加分は2020年価格で1804年の約10万ドルから始まって、1860年の約17万ドルへと順調に伸びていたことが分かります。17万ドルというと普通のオフィスワーカーというよりはビジネスマンの年収と呼ぶべきでしょう。
これが、隷属身分の可視化によって監視コストを下げながら強制労働を徹底したことによる利得分と言えるでしょう。
下段には、奴隷を所有することにはさらにプラスアルファの所得増加分があったことが描かれています。
こちらは1804年の約23万ドルから出発して、ピークの1836年には約43万ドルまで上昇し、その後奴隷を長期保有することのリスクが上がって1860年には約35万ドルまで下がりました。ピークからはやや下がった1840年前後の価格でも、戸建て住宅1戸分に相当したようです。