米軍をここ硫黄島に一日でも長く留め置けば、自分たちの家族はその分長く生き永らえるはず。主人公を始め硫黄島で玉砕した日本兵たちは、短い人生の最後の瞬間に自らが死ぬ意味をそこに見出し、瘦せ衰えた体を強い気持ちで奮い立たせ戦ったに違いない。
3月に参列した日米硫黄島戦没者合同慰霊追悼顕彰式において、自衛隊と海兵隊の日米両国音楽隊による鎮魂歌が演奏された。著者はこの時、日本側が演奏した童謡唱歌「故郷」が演奏された時の遺族の様子を眺めながら、ついぞ家族の元に帰ることが出来なかった父親を慰霊する白髪婦人の胸中に想いを巡らす。
こころざしを 果たして いつの日にか 帰らん 山は青き ふるさと 水は清き ふるさと 忘れがたき ふるさと
自衛隊音楽隊による「ふるさと」が奏でられた時、80年の時を経て参列していた遺族を、果たして英霊たちはどんな想いで天国から見守っていたのだろうか。
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『大統領に告ぐ 硫黄島からルーズベルトに与ふる書』