8月8日、文部科学省は「科学技術指標2025」を公表した。トップ10にランクされた論文数は世界の13位で、3年連続の過去最低となった。G7の7か国中最下位で、ランク1位は中国、2位が米国、4位がインド、9位に韓国、12位にイランとなっている。1993年には米英に次ぐ3位だったが、その後はランクを下げ続けている。

まさに、科学競争力の失われた30年である。国の経済力の強化には科学力の裏付けが不可欠である。この科学力の弱体化が、日本の国力の低下につながり、通貨「円」がどんどん弱くなっている。訪日外国人が増えて経済を活性化していると喜んでいるが、「円」が目を覆うほど弱くなっていることを反映しているのだ。訪日外国人が増えていると喜んでいるだけでは済まないのだ。

国の将来を憂う優秀な官僚が多数いた時は、国は正しく舵取りをされて、発展していくことができた。政治を見ていても、総理大臣候補と目される人たちが複数存在していた時には、いい意味でも、悪い意味でも競い合っていたように思う。官僚も政治家も小粒になって、天下国家を真正面から論ずる人が絶滅危惧種のようにほぼ消えてしまった。

日米関税交渉も、これまでの常識では考えられない口約束とは?国と国の取り決めに文書がないなどありえないことだ。日本の将来がかかっている交渉が文書で残せないはずがない。文書に残せないような屈辱的な内容になっているのではと勘繰られても仕方がない状況だ。80兆円の投資についても、日本政府の説明とトランプ大統領のSNSの内容とは大きく異なっている。

予算委員会を見ていても、野党は全くこの点を突っ込まない。本当に不思議であいまいな国になってしまったものだ。このフワフワした雰囲気が科学力の低下の一因だ。施策の失敗が今日の弱体化を招いたはずだが、いつだれがどこで判断を間違ったのかという反省がない。失敗をした原因・要因を分析して、それを生かしてこそ次があるのだが、この国には批判がないのだ。批判=悪口という雰囲気があるので、奥ゆかしい日本人は批判をしない、というと聞こえがいいが、批判をした人間が組織や社会から排除されるような文化が日本の停滞を招いている。

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