元北海道日本ハムファイターズの岩本勉氏が28日、自身のYouTube『岩本勉チャンネル』を更新。ファイターズの最強外国人選手を語った。
【話題の動画】岩本氏がファイターズの外国人選手を語る
■日本ハムの外国人選手について語る
岩本氏が視聴者からの質問に答えた今回の動画。そのなかで日本ハムの最強外国人選手について、「東京時代はマット・ウインタース、北海道移転後はフェルナンド・セギノールではないか」という声が寄せられる。
スタッフから「ウインタースといっしょにプレーされましたか? どんな選手ですか?」と質問された岩本氏は「やってるよ。1年目から4年、5年。結構長くいて、めちゃくちゃ良い男で。性格も良いので、今ファイターズの在米のスカウトもやってるでしょ、今もファイターズの人なんだよ」と語った。
■セギノールは「人望があった」
セギノールについては「セギは人望もあったね。彼の記憶はファースト守ってて、俺ピッチャーで。ボール回しで奴からもらうボールがめっちゃ捕りにくかってん。腕が見えへんねん。ピュっと出てくるからものすごいキャッチしにくかったのを覚えている。変な投げ方すんねん」と振り返る。
また、「スイッチヒッターで右も左もあれだけ打った選手は少なかったね。良い選手だった。しゃべっていてもおもろいし、世間話で冗談も言ったなあ」と話していた。
■歌って踊れる4番打者として活躍
ウインタースは近藤貞雄監督時代の1990年に日本ハムに入団。初年度で35本のホームランを放つと、91年は33本、92~93年に35本と活躍。
93年の当時黄金時代だった西武ライオンズとの優勝争いでは、大沢啓二監督率いるファイターズの4番打者として、チームを引っ張った。明るいキャラクターで、試合前にダンスを踊り、「歌って踊れる4番打者」として、パ・リーグを盛り上げた。
■移転後初優勝に貢献したセギノール
一方、セギノールは2001年にオリックス・ブルーウェーブに入団。打率の低さを理由に解雇され、アメリカに戻ったが、2004年に日本ハムと契約し、再来日することになった。
同年44本のホームランを放ち、タイトルを獲得。小笠原道大氏、稲葉篤紀氏と強力なクリーンナップを形成し、2006年の移転後初の優勝、日本一と2007年のリーグ連覇に貢献している。
スイッチヒッターで1試合に左右両打席でホームランを放つという、プロでもかなり難しい記録を複数回達成したことでも有名だ。