中世のグダニスクでは平均よりやや高めの体格だったと考えられます。

まさに、実戦の場で鍛えられた戦士だったことを想像させます。

無名の戦士は誰だったのか?浮かび上がる2つの可能性

この墓の主は、いったい何者だったのでしょうか。

そこに眠っていたのは、明らかに「普通の市民」ではありません。

第一に注目されたのは、墓標の豪華さです。

騎士が彫られた石灰岩の板は、当時としては非常に高価なものであり、葬られた人物が高い社会的地位と経済力を持っていたことを示しています。

実際、発掘された約300の墓のうち、石の墓標を持っていたのはわずか8基。その中でもこの墓標はとびぬけて精巧で、学術的にも全国的な注目を集めています。

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騎士の頭蓋骨/ Credit: gdansk(2025)

問題は、この人物がどの時代の誰に仕えていたかです。

グダニスクは1308年、ドイツ騎士団(チュートン騎士団)によって占領されました。

この人物がその前に埋葬されたのか、それとも後かによって、彼の所属は大きく異なります。

もし1308年以前ならば、ポメレリア地方を治めていたソビェスワフ家の公爵に仕えた騎士だった可能性があります。

逆にそれ以降であれば、ドイツ騎士団に従う軍人だったかもしれません。

墓からは副葬品などは出てきませんでしたが、クジンスカ氏は「当時の社会において特別な敬意をもって葬られた人物であることは間違いない」と述べています。

3Dスキャンによるデジタル復元や、遺骨のDNA解析、さらに顔貌復元も今後行われる予定であり、さらなる手がかりが得られるかもしれません。

発掘現場では、誰かがふと口にしました。

「彼をズビシュコ(※ポーランド文学『十字軍騎士団』の主人公)と呼んではどうか」と。

また別の者は「グダニスクのランスロットのほうが似合う」と冗談まじりに提案しました。

実在の名が不明であるからこそ、物語とロマンが自由に広がっているようです。