予言者ではなく、むしろ「予言の否定者」だった

 ではなぜ、ニュートンはこんなにも重要な計算を、生前に一切公表しなかったのか。それは、彼の信仰が当時の英国国教会が定める教義に反する「異端」だったからだ。彼はキリスト教の根幹である「三位一体説」を否定しており、もしそれが公になれば、築き上げた地位の全てを失う可能性があった。

 そして、ここに最大の皮肉がある。実はニュートン自身、軽率に終末を予言する人々を、心から軽蔑していたのだ。

 彼が残したメモには、こう記されている。

「私がこの日付に言及するのは、終わりの時がいつであるかを断言するためではない。むしろ、頻繁に終末を予言しては、その予言が外れるたびに聖なる預言の信用を貶める、空想好きな者たちの軽率な憶測を終わらせるためである」

 つまり、「2060年」という日付は、世間に溢れる終末論フィーバーに対し、「少なくとも2060年より早く終わる理由はない」と釘を刺し、人々を落ち着かせるための、いわば「カウンター予言」だったのである。彼は予言者ではなく、むしろ無責任な予言に警鐘を鳴らす側の人間だったのだ。

 2060年が近づくにつれ、この話題はまたメディアを賑わすかもしれない。しかし、この話の本当の面白さは、予言が当たるか外れるかではない。科学と宗教が分かちがたく結びついていた時代に生きた一人の天才が、いかにして宇宙と神の真理を追い求めたのか、という壮大な探求の物語なのである。

参考:ZME Science、ほか

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