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中国人の無謀な富士登山などが批判されているが、私がフランスに留学や勤務をしていた1980~90年代には、日本人の無謀な登山が酷く批判されていたことを忘れてはならない。現在においても、日本人が問題を起こしている事例は依然として存在する。
バブル期から1990年代にかけて、アルプス、ヒマラヤ、アンデス、中国など海外の高山における日本人登山者の無謀な行動や、現地文化・ルールを無視した振る舞いは少なからず批判を受けた。とりわけ、「金にものを言わせた登山」に対する批判は根強く存在していた。中国人の行動が批判されるのは当然ではあるが、日本人として他者を見下すような言い方は慎むべきである。
多くの日本人が「記録を作る」ことを目的に登山に挑み、現地政府の規制を無視したり、ガイドやポーターに過大な負担を強いたりする行動が見られた。「モンブランでスニーカー登山」など、装備の不備や天候の軽視がフランスやスイスで問題視され、地元ガイドの助言を無視して山に入り、遭難・死亡事故に至るケースも相次いだ。
日本人登山者がガイドや現地の同行者の忠告を無視して強行登山を行い、結果として自身が死亡したうえに現地人を巻き添えにするという事例も報告されている。「日本人はポーターを人として扱わない」といった批判が報道されたこともあった。さらに、現地で聖山とされている山に登って問題を引き起こしたこともある。
特に事故の場合、日本人自身も亡くなっているケースでは、批判や反省の声を上げにくいが、日本人の無謀な行動により現地の人々が巻き込まれたケースが多いと聞く。
その後、日本人登山者の行動が蓄積され、突出した印象は薄れたかもしれない。また、欧米では日本人も中国人も韓国人も「アジア系」とひとくくりにされて批判されるようになり、日本人を名指しして批判することは少なくなっている。とはいえ、同様の事例は現在も続いており、無謀な日本人登山が完全になくなったわけではない。特に、日本人は長期の休暇を取りにくいため、無理をしがちだとも言われている。