ここ数年の政治の世界では、れいわ新選組、日本保守党、参政党といったポピュリスト政党の伸長が目立っている。ポピュリズムには大衆迎合主義という訳をする人もいるが、大衆をこばかにしたようで良くないと思う。
定義としては、「怒れる国民の声を直接代表しているように見せて、制度やルールや財政規律を軽んじる傾向のある政党」ということだろう。政治は、対話や妥協を積み重ねていくものだが、彼らは「牛耳るエリートたちがこの苦難をつくりだしたのだから、自分たちに努力など求めず、財源もどこかにあるはずだから負担も減らし、なんとかしてくれ」という姿勢を取る。
従って、政策提案は互いに矛盾し支離滅裂である。そして、扇動的な言葉を熱烈に語って自分たちはエリートたちの被害者だと人々をあおり立て、陶酔境に導く。
欧米の例を見ると、担い手は商店主、小農民、年金生活者、失業者、エリートへの道で挫折した人などが多い。そして、しばしば民族感情に訴え、外国人や国際的な大企業を攻撃する。その国の伝統的な宗教に好意的なケースが多いようだ。
このあたり、社会主義は知識層の主流派に指導され、組織された労働者に支持され、社会の根本的な変革を目指し、それなりに論理一貫し、普遍的な国際主義によるから方向性が違う。
また、維新の会は手法的には似たところもあるが、無駄を切り捨て自立を促すのだから別の流れである。
そして、面白いことに、創始者をみるとれいわ新選組の山本太郎は兵庫県伊丹市、日本保守党の百田尚樹は大阪市東淀川区、参政党の神谷宗弊は福井県出身だが大阪府吹田市議、維新の橋下徹は東京出身だが大阪市東淀川区育ちであるから、いずれも関西、しかも阪急沿線の出身である。ついでにN党の立花孝志は大阪府南部の泉大津市の出身で、南海沿線である。

各党党首(NHK・Wikipediaより)
彼らにはそれぞれ苦労話はあるが、立花は高卒でNHKに就職しており、山本は豊かな貿易商、百田、神谷、また橋下はいずれも私立大学に進学しているのだから、貧困家庭ではない。このあたり、関西的な反骨精神の発露が濃厚であり、政治の吉本新喜劇化という言葉で総括したら乱暴だろうか。