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「唯一の被爆国」

広島、長崎の被爆者団体や日本共産党などの左翼政党は、日本は「唯一の被爆国」として、日本独自の「核保有」はもちろんのこと、米国との「核共有」や米国の「拡大核抑止」すなわち「核の傘」に依存することにも反対する。

その理由は、「核保有」のみならず「核共有」や「核の傘」も核の使用を前提とするものであるから核廃絶の理念に反し、日本は「唯一の被爆国」として核兵器廃絶の先頭に立つべきというものである。

日本共産党は米国の「核の傘」による核抑止の必要性も否定し、日本に「核の傘」を提供する「日米安保条約」の廃棄を主張している。しかし、「日米安保」の廃棄は日本が核に対して無防備になることを意味する。

「核抑止」反対論の危険性

このような「核抑止」反対論は、核保有国である中国、ロシア、北朝鮮による日本に対する核恫喝や核攻撃の危険性や可能性を無視ないし軽視し、日本は「唯一の被爆国」として「核廃絶」を提唱すれば、これらの核保有国からの核恫喝や核攻撃を受けることはないと考えていることが窺える。

このことは、日本が「唯一の被爆国」であることをあたかも核恫喝や核攻撃を受けない「特別の地位」と理解しているとも言えるのであり、危険である。ひたすら力を信奉する上記の核保有国が、日本が「唯一の被爆国」であるがゆえに、核恫喝や核攻撃を加えない保証はない。

このことは、1994年の米ロを含む「ブタペスト覚書」により核を放棄し、核抑止力を失い、核に対して無防備となったウクライナに対するロシアの侵略を見ても明らかである。

「唯一の被爆国」と核抑止は矛盾しない

このように考えると、「唯一の被爆国」と核抑止は矛盾しないどころか、「唯一の被爆国」だからこそ、二度と被爆しないために日米同盟による「核抑止力」の獲得が必要不可欠であるといえるのである。

米国の「核の傘」だけでは核抑止として不十分であるとすれば、米国との「核共有」も真剣に検討すべきである。「核共有」は米国の核兵器を日本国内の基地に配備せず、米原子力潜水艦発射型の「核共有」も可能であり有効だからである。