元読売ジャイアンツの緒方耕一氏が、高橋尚成氏のYouTubeチャンネル『高橋尚成のHISAちゃん』に出演。キレたら怖かった巨人の外国人選手を語った。

■キレて怖かった外国人選手は?

巨人で盗塁王を獲得するなど、俊足のスイッチヒッターとして活躍した緒方氏と高橋氏がトークをした今回の動画。

スタッフは緒方氏に「キレると怖かった外国人選手とかっています?」と質問。高橋氏も「緒方さんたちのときって、外国人が乱闘してもOKな時代ですよね、やりにくるみたいな外国人っていたんですか? グラッデンとか?」と1994年に巨人でプレーしたダン・グラッデンを挙げた。

■グラッデンは「自分で熱くなるタイプ」

グラッデンについて緒方氏は「激しかったけれども、相手を威嚇するとかじゃなくて、自分で熱くなるような感じだった」と振り返る。

高橋氏が「乱闘でパンチを入れて、自分で骨折していましたよね」と指摘すると「ヤクルト戦でね」と納得する。

続けて「僕らは乱闘はそんなになくて、報復があったね。乱闘に繋がってしまうんだけど、大ベテランの篠塚和典さん、中畑清さん、原辰徳さんと駒田徳広さんとか、落合博満さんもそうだけど、錚々たるメンバーだから、当てたら、当て返されるのは俺とか若手だった」と乱闘よりも報復死球のほうが怖かったと語った。

■報復死球の経験を告白

緒方氏はさらに「いきなり原さんとかは難しい。向こうの主力とかに当てたら、守っていてもスコアボードを見ながら、次はあれから始まって、誰も出なかったら、俺2アウトで回ってるから『これやばいな』みたいな」と報復死球を受けた経験があることを告白。

また、「中日ドラゴンズ戦とヤクルトスワローズ戦は多かった。若手かキャッチャー。村田真一さんも多かった」と語り、スタッフから「そのときの監督って誰ですか」と質問されると、「星野仙一さんと野村克也さん。星野さんはベンチからモロに『いけ』という声が聞こえた」と語っていた。

■1994年に巨人でプレー

グラッデンは1994年に来日。おもに1番打者として起用され、98試合で15本のホームランを放ち、日本一に貢献したが、肩や足が衰えており、1年で退団。そのまま現役を引退した。

非常に気性が荒く、1994年5月11日のヤクルト戦では、直前にチームメイトの村田氏が頭に死球を受けたことなどを伏線に、西村龍次氏から顔付近に投球をされ腹を立て、大乱闘に発展。

ヤクルトの捕手だった中西親志氏を複数回殴り、退場処分を受けた。中西氏は顔面を骨折しており、その後の野球人生に影響を与えたといわれている。グラッデンも手を骨折した。この事件が「危険球退場」のルールができるきっかけとなった。