これらを日本の事情に疎い海外の戦略家や安全保障専門家に解説なしに示したら、どのような反応になるでしょうか。おそらく誰も正確に内容を理解できないでしょうし、そこから演繹される手段である戦力構成や運用も導けないでしょう。

それくらい、これらの「ジャーゴン」は、標準的な戦略や安全保障の中心概念から「外れている」ということです。よい戦略は概してシンプルです。

科学的裏づけなき防衛政策の形成

わたしには、本書ならびに類書や関連文献を読む限り、日本の防衛政策は、まったくといってよいほど、「科学的な検証」なくして存続されたり改訂されたりしてきた事実が驚きです。誤解を恐れずに率直にいえば、日本の防衛政策は、政策立案者たちの「直観」や「信条」、「パーセプション」、「(つじつま合わせに近い)バーゲニング」によって構築されてきたのです。

それを例証するものとしては、たとえば、「二二大綱」の策定に大きな役割を果たした「防衛懇談会」のあるメンバーによれば、この会合において基盤的防衛力構想は「時代遅れの印象」で語られていたことです(同書、237ページ、強調は引用者)。

もちろん、このことは日本の防衛政策の立案において、軍事情勢に関するオペレーションズ・リサーチやシミュレーションが完全に欠如していたというのではありません。そうではなく、関連する歴史証拠によれば、「基盤的防衛力構想」による防衛政策が、ほとんど実証科学にてらされることなく継続されると同時に、反証されることなく廃棄されたのです。要するに、これは日本の防衛政策の立案と制定、変更、実施における「科学」の欠如にほかなりません。

基盤的防衛力という「幻想」

もし基盤的防衛力が日本の平和を維持してきたのであれば、前者が後者を生み出した因果関係を立証しなければ、こうした主張が正しいことは分かりません(逆も同じです)。そういうと「起こらなかったことの立証は、悪魔の証明であり不可能だ」との批判もあるでしょう。確かに、こうした反論には一理あります。しかしながら、政治学や国際関係論は、そこで「思考停止」していません。上記の因果仮説は検証可能です。