元読売ジャイアンツ選手で横浜DeNAベイスターズ初代監督の中畑清氏が、元北海道日本ハムファイターズ・斎藤佑樹氏のYouTube『斎藤佑樹 野球場プロジェクト』に出演。

労働組合日本プロ野球選手会「初代会長」としてFA制度導入を提唱するきっかけとなった出来事を語った。

■初代選手会長時代を振り返る

斎藤氏は昭和の時代、FA制度がなく選手自らの意思で移籍ができなかったことに言及。すると中畑氏は「あれ(FA)は俺が作ったんだよ」と胸を張る。

その後、プロ野球選手の労働組合である「日本プロ野球選手会」を作り上げた経緯を告白。「1年かかった。あれは大変だった。1年間、野球をやっていない。打率が2割6分に落ちた」などと振り返った。

■きっかけは清原氏

FA制度を作った理由を質問されると「やっぱり清原なんだよ」と、1985年のドラフト会議で読売ジャイアンツ入りを希望しながら指名されず、西武ライオンズに入団した清原和博氏がきっかけだったことを告白。

同氏が1987年の日本シリーズ第6戦の9回2アウトを取ったところで、突然号泣したことを紹介し、「あれはとにかく憎きジャイアンツに勝ったっていう。裏切られた、自分の夢を砕かれて、ジャイアンツに入りたくて仕方がなかった。その涙につられちゃったんだよな、俺」とコメントした。

■「もっと自由に選手が動けるような…」

さらに中畑氏は「こんなに純粋に球団を愛したりする選手がいるんだって思うなかで、こういう選手に対して違った道を作ってやるのがFA制度じゃないかなっていうことで」とFA制度を導入しようと思ったきっかけを告白。

続けて「もっと自由に選手が動けるような環境ってのはないのかな。がんばった選手だったらそういう資格をもらってもいい、見つけてもいいんじゃないかなと思ったのは清原の涙だったの」と語っていた。

■清原氏はFAで巨人に

FA制度は選手会から提案され、前阪神タイガース監督の岡田彰布氏が選手会長だった1993年に導入された。この制度ができたことで「好きな球団に入る」ことが可能に。中畑氏が「きっかけ」と語った清原氏は1996年のオフにFA宣言し、念願の巨人に移籍した。

当初は人気球団の巨人と阪神を中心にパ・リーグからセ・リーグに移籍する選手が大半だったが、最近はオリックスの森友哉や西川龍馬、日本ハムの山崎福也など「地元球団でプレーしたい」「プレーしやすい環境に移籍したい」という理由からパ・リーグに移籍する選手が増加している。

選手にとってはありがたい「FA制度」だが、「応援してきた選手が突然ライバル球団に移籍してしまう」だけに、ファンにとっては、恨めしい制度になっているという要素もある。