実は私たちは、量子の世界に存在するすべての可能性を見ているわけではありません。
その中から特定の安定した状態だけが環境との相互作用を通じて広く伝播し、目に見えるようになります。
つまり「現実」とは、環境が作り出した「量子情報の記録」だと言えるのです。
この発想は、熱力学で知られる物理学者ルートヴィッヒ・ボルツマンが提唱した「エントロピー」の概念にも通じます。
エントロピーとは「見える秩序の陰で見えなくなった微視的な無秩序の量」を表す指標ですが、量子ダーウィニズムの描く世界像もこれに似ています。
量子の多様な状態は環境に拡散し、私たちからは見えなくなっても、その痕跡はエントロピーとして環境内に残ります。
さらにもう一歩踏み込むと、私たちが当たり前と感じる「古典的な現象」も、環境との相互作用によって選び抜かれた量子状態だと考えられます。
生物進化では自然選択によって生物の形質が決まりますが、量子ダーウィニズムになぞらえるなら、私たちが日常で当たり前と思っている古典的な現象(物体がはっきりした位置を持つなど)は、量子の多様な可能性の中で環境との相互作用を生き延びた安定状態が表に現れた結果と考えることができます。
もし環境との相互作用で選ばれる量子状態が違っていたら、私たちが見る現実の様子や起こる現象も違っていた可能性があります。
この意味で、量子ダーウィニズムが示す現象の選択と冗長化は、生物進化における自然選択に通じる考え方だと言えるでしょう。
もっとも、量子ダーウィニズムは「なぜ特定の結果が選ばれるのか」という問いには答えますが、「その結果が具体的にどの値になるか」までは決めてくれません。
例えばシュレーディンガーの猫のパラドックスで言えば、環境が猫の生死という安定な事実を選び出し多くの観測者に共有させる仕組みは説明します。
しかし、その猫が最終的に生きているのか死んでいるのか、といった具体的結果は量子確率によってしか与えられず、量子ダーウィニズム自体はその確率の収束先を規定しません(自然選択では環境に適応した個体が生き残りますが、どの個体が環境に適応できるかは偶然によって左右される面があるのと似ています)。