投資、あるいは資産形成は、使途のない資金の長期運用だと考えられているが、それは誤りで、金融機能は、資産形成も含めて、資金使途の実現のためにあるのである。資金使途のない投資は、ゲームであり、投機なのである。長期投資だから投機ではないということはなく、そもそも投資のための投資はゲームにすぎないのである。

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実は、資金使途がないとは、要は、資金使途の実現が時間的に先にあるために、それまでは使途がないということである。つまり、短期的どころか、中長期的にすら資金使途がないようにみえる場合でも、究極的には必ず資金使途があるのである。
真の投資とは、時間的に先のほうに資金使途の実現を目標として設定し、その目標に向けて資産形成を行うことである。そして、金融庁は、その目標として豊かな老後生活を想定して、資産形成という施策を展開しているわけである。確かに、豊かな老後生活のための原資の形成は、若いときから極めて長期間にわたって小さな金額を累積投資していくものだから、資産形成に最も相応しいのである。
老後生活資金形成においては、目的は、単に資金を貯めることではなく、資金の購買力を保存し、できれば購買力を増やして、老後においても豊かな生活水準を維持することなので、グローバル経済のもとで、世界全体の経済成長に参画できる国際分散投資が推奨されるのであって、より高い期待利益を追求するために国際分散投資が推奨されるのではないのである。
また、元本自体には資金使途がなく、その運用の果実に使途がある場合もある。例えば、年金基金等の機関投資家の資産運用では、投資元本の費消は想定されておらず、投資収益の費消が目的となっている。別のいい方をすれば、財政計画のなかで収入として予定されている投資収益があって、その実現のために資産運用がなされているということである。
このことは、個人においても、憧れの金利生活者として、理想として、そのままに有効である。誰しも、毎年の生活資金額を期待収益率で割って、必要元本を求める計算をしたことがあるはずである。1億円の元本があって、それが5%で回ったら、毎年500万円手に入る、自分は働かず、元本に働かせる、これぞ投資の極意である。