財務省が、定員割れを起こしている一部の私立大学で四則演算や中学英語の文法を教えている実態を「大学教育の劣化」として摘発し、文科省に私学助成の見直しを迫った。文科省は当然のように反発し、「学び直しは必要」と開き直ったうえ、「地域人材の育成に貢献している」として、補助金は正当であるとのロジックを展開している。
財務省VS文科省バトル再び 中学程度の私大授業に財務省「助成の在り方見直しを」求める 産経新聞
しかし、冷静に考えてほしい。大学で「足し算・引き算」を教えること自体が異常事態なのだ。小中学校の学力が定着しないまま大学に入ってくる学生が多数いる、ということ自体が、すでに「教育政策の失敗の結果」である。にもかかわらず、その尻拭いを大学にやらせ、なおかつ「学び直しも重要だ」と開き直るとは、これはもう制度の末期症状である。
大学で「基礎学力」を教えるというが、それは大学の仕事ではない。義務教育が果たすべき役割を放棄しておいて、そのツケを大学に回す。その大学は学生一人あたり数十万円の国費を受け取って「地域人材を育てています」と自賛している。この構図はもはや「地方活性化」の名を借りたモラルハザードである。
なぜ、そもそも小中学校で基礎が定着しないのか。そこには、日本のカリキュラム構造がもつ深刻な欠陥がある。教科は前提知識の積み重ねで進むにもかかわらず、一斉授業で進度は一定、個別の遅れに柔軟な対応はほとんどなく、成績評価は曖昧で学力の低下が可視化されにくい。さらに、留年や再履修制度が事実上存在しないため、つまずきが制度的に修復される機会はなく、ただただ見逃され続ける。
そして、大学でようやく「四則演算」や「現在形と過去形の違い」を履修する。この国の教育政策は、下から崩壊しているのに、その場しのぎで上に積み木を重ね続けるタワーのようなものだ。その崩壊を大学の「補助金」でつなぎとめようとしている。だが、これは「助成」の名を借りた延命措置にすぎない。