使途がないからこそ、人は資金を預金に滞留させるのである。その預金について、投資、あるいは資産形成の名のもとで、増殖させようとすることは一種のギャンブルかゲームであり、投資というよりも投機と呼ばれるべきではないのか。長期投資だから投機ではないということではなく、そもそも投資のための投資はゲームにすぎないのである。

Pachai-Leknettip/iStock
もちろん、人間の生活に娯楽は不可欠で、適度のギャンブルは必要かもしれないが、娯楽を楽しむためには、生活の経済的基礎が確立されていなければならず、まさに、その生活の経済的基礎を強化することにこそ金融の本来の機能があるのである。では、生活上の資金使途のある資産形成とは、どのようなものか。
資金使途がないとは、要は、資金使途の実現が時間的に先にあるために、それまでは使途がないということである。つまり、短期的どころか、中長期的にすら資金使途がないようにみえる場合でも、究極的には必ず資金使途がなくてはならない、あるいは必ず資金使途が想定されなくてはならないのである。なぜなら、いかなる意味においても使途を想定せず、お金を貯めるためだけに貯めることは、一種の異常な病理としてはあり得ても、正常な人の行動としてはあり得ないからである。
資金使途の実現が時間的に先にあるために、それまでは使途がない、この表現は、時間的に先のほうに資金使途の実現を目標として設定し、その目標に向けて資産形成を行う、と直すことができる。そして、金融庁は、その目標として豊かな老後生活を想定して、資産形成という施策を展開しているわけである。
確かに、豊かな老後生活のための原資の形成は、若いときから極めて長期間にわたって小さな金額を累積投資していくものだから、資産形成に最も相応しいものであって、代表事例として適当である。しかし、将来の資金使途の実現を目標として設定し、その目標に向けて資産形成を行うことは、比較的短期も含めて、一般的に適用できる。