言葉がわからなければ子供は他の生徒と人間関係を作れませんし、そもそも勉強がほぼ不可能です。子供の中には何とか現地の言葉を勉強して勉強についていけるようになる子供もいますが、しかしその負担は大変なものです、母語でない言葉で学ぶことは大人であっても大変なことです。
しかも外国語で学ぶことに時間を費やさなければならないので自分の母語の発達も遅れます。
特に小学校中学年から中学生ぐらいだと概念や理論的なことを学び始める時期ですから、その時期に母国語での学びや算数の学習で深い部分まで理解ができないと成人してから深い思考が行えないといった弊害が出てきます。
実はこれは旧植民地の国の人々の間で問題になっていることです。学校で使う言語は自分の母語ではない英語やフランス語なので概念が理解できなかったり、言語的に深みのある表現をすることができないのです。
ですからイギリスや欧州、カナダ、アメリカなどの人々に、日本の駐在員は子供を言葉がわからなくても現地の学校に入れて週末に補習校に通わせているのだということを伝えると大変驚く人が多いのです。
彼らは子供の心理的な負担や発達への影響をかなり気にするからです。
私も独身の頃は親の仕事の都合で海外に駐在になっても現地校に行けば子供ならすぐに言葉を覚えるだろうし、勉強にもついていけるだろうという風に思っていました。
しかし私の大学や大学院の同級生には元帰国子女の人々がいましたが、親の仕事の都合で僻地や地方に住んでいた人々は現地校に通っていたので言葉がわからなかったり友達ができなかったりして大変な苦労をしたということを聞き、考え方が変わりました。
さらに自分が実際に子供を持って多言語環境で教育をし、その他にも様々な国の子供を目にしてきて、それは子供にとって大変負担の重いことだということを実感したのです。
最近は大学の帰国子女入試枠を批判する人もいますが、しかしそもそもそういう枠を作らざるを得なかった根本的な理由は、日本の企業というのが海外で駐在する人々に対して十分な福利厚生を提供しないので子供たちが現地校に行かざる得ない状況に置かれることもあり、その救済措置としてできたものだということは理解するべきでしょう。