しかし、勤務先の仕事に伴う諸々の「制度的役割」は定年退職によってほとんど失われてしまう。いわゆる「空の巣症候群」(empty nest syndrome)は、子供が成長して独立し、残された親に見られる精神的に不安定で憂鬱な状態であり、これは家庭内役割として「子育て」が終了したから生まれる。図5でいえば、「子育て」に伴う「私的な役割」が消滅したことになる。

しかし、「精神的に不安定で憂鬱な状態」は、それまでの「制度的役割」の筆頭にあった「職業役割」が定年退職によって剥奪されても同じように生じる。これはその後の人生の「生きがい」を奪いかねない。

「はっきりしない弱々しい役割」が救いになる

そこでロソーは「はっきりしない弱々しい役割」(tenuous role)という造語によって、「精神的に不安定で憂鬱な状態」を乗り切ろうと提言した。手持ちのOxford Advanced Learners’ Dictionary of Current Englishでは“weak,uncertain,thin,easily broken”と表現されている。

たとえば、元の職場での親しかった同僚、子どもの関係で知り合ったつながり、カラオケやゲートボールなど趣味活動での仲間との交流、学生時代の友人とのメール、行きつけのお店での会話、定期的な通院先の医師との会話など、「弱くて薄い関係」である。

高齢者は生理的劣性と精神的聖性

「老人問題史観」では病気がち、動けなくなる、会話ができない人との付き合いを拒む、物忘れが多くなるなど「生理的劣性」が強調されてきた。

それは加齢に伴い仕方がないことでもあるが、せめてそれまでの70年間80年間の経験を「精神的聖性」と呼ぶかどうかは別としても、もっと周囲がこれを評価するようにしないと、これからの「超高齢社会」は乗り切れない。

その意味で人間は「役割の束」なのであり、置かれた状況により「はっきりしない弱々しい役割」が一つでもあれば、それを手掛かりに「役割継続・回復・維持・創造」をしていこうと締めくくった。

学生・院生が増えた