日本の現状において、経済の超成熟のもとで、個人部門の金融資産が預金に滞留し、法人部門の資金需要が伸びないために、経済全体として預金の構造的過剰に陥っている。この使途のない過剰な預金こそ、いわば血液の流れの滞った状況こそ、日本経済が直面する最大の難問であり、預金を媒介とした伝統的な金融の危機である。

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では、使途のない預金は、日本の資金循環の外に出すべきではないのか。いうまでもなく、それが国際分散投資の発想である。日本のように先行して成熟した経済、蓄積過剰となった経済から、旺盛な資金需要のある成長途上の経済圏へ資金が移動することにより、一つの狭い国のなかでは循環し得なかった資金が広い地球のなかで循環するわけで、これがグローバル経済の真の意味である。そして、今では、投資信託を上手に利用すれば、日本の誰にでも、地球上の隅々にまで投資することが可能なのである。

また、日本経済のなかにおける循環としても、預金を介して運転資金等を産業界に供給する短期的循環に加えて、預金を介さないで直接に設備投資資金等を産業界に供給する中長期的循環がある。後者においては、産業界が株式や債券等を発行し、また不動産等の実物資産を移転させ、それらを個人が直接に、あるいは投資信託を経由して取得する方法がとられる。

こうして、個人の金融資産保有形態として株式、債券、不動産、投資信託等を普及させ、その分だけ預金削減を実現することで、銀行等の預金を媒介とした金融機能の規模を縮小して適正化させ、経済の資金循環を正常に戻す、これは、かつては貯蓄から投資へという標語のもとで、今では国民の安定的な資産形成という名のもとで、金融庁の重点施策に位置づけられてきた課題である。

しかし、使途がないからこそ預金になっているものを、投資、あるいは資産形成の名のもとで増殖させようとすることに、何かゲーム以上の意味があるのか。生活の必要から切り離され、資金使途を欠いた資産形成は、資産形成のための資産形成、投資のための投資として、一種のギャンブルかゲームであり、投資というよりも投機と呼ばれるべきであろう。長期投資だから投機ではないということではなく、そもそも投資のための投資はゲームにすぎないのである。