人の生活において、また事業の経営において、お金は必要不可欠だが、お金自体に意味があるのではなく、お金を用いて実現されること、即ち資金使途に意味があるのである。そして、お金の保有額が常に変化して推移するなかで、その変化とは直接的に関係することなく、生活や事業の必要から資金使途が発生するので、必要資金の過不足が生じるわけで、それを調整するのが金融機能なのである。
つまり、資金に余剰がある個人や法人は銀行等に預金し、資金が不足する個人や法人は銀行等から借入れるのである。立場を逆にすれば、銀行等は資金の余剰を預金として吸収し、資金の不足する個人や法人へ貸付けるのである。こうして、預金を媒介にして、個々の個人や法人において生じる資金の過不足を社会全体として調整することが銀行等の預金取扱金融機関の機能なのである。故に、金融機能は資金使途と無関係には決して成立し得ない。実際、使途もなく、お金を借りる人も企業もない。

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では、使途がないから預金になっているとしたら、預金は資金使途と関係のない金融機能なのだろうか。金融は、経済が成長する限り、経済全体としては、法人部門を中心に、資金不足になっていることを暗黙の前提としていて、その不足を埋めるものとして、銀行等の預金を媒介とした信用創造機能、簡単にいえば不足する預金量を増幅させて必要融資量に均衡させる機能があるのである。故に、預金として滞留する資金は一時的事情で短期的に滞留するだけであって、中長期的に使途のない預金の滞留することはあり得ないわけである。別のいい方をすれば、資金は経済の血液として常に循環して滞らないのであって、それが経済のあるべき姿だということである。
しかし、日本の場合、かなり前に、この本来の金融は機能しなくなっている。なぜなら、経済の成熟とともに、個人金融資産の蓄積が進み、それが預金に滞留していったのに比して、法人部門の資金需要が相対的に減少していったため、経済全体として預金の構造的過剰に陥り、それが定着したからである。