社債における本質的問題は、多くの投資家にとって、信用格付は、参考意見以上のものであり、投資判断の基準そのものとして機能していることである。そもそも、社債市場の効率性、即ち、価値と価格の一致は、相互に独立した多数の投資家が自己固有の判断に基づいて売買することによって、実現するものである。こうした投資家は経験、知識、投資目的などが相互に異なっていて、その投資家の多様性こそが市場原理を支えるものなのである。

denphumi/iStock

そこに、いかに専門家の意見とはいえ、信用格付が支配的見解として通用することは、市場原理に反している。しかし、規制の盲点があって、参考意見は規制され得ず、また、投資家が参考意見を利用する方法も規制され得ず、ましてや、規制によって、投資家が信用格付に基づかない独自の判断を形成するように、強制することもできないのである。

社債の発行体にとって、信用格付を得ることには、社債の消化を円滑にするという効用があるわけだが、発行費用を増加させるという不効用もあり、また、より高い格付を得るためには、信用格付業者の格付手法に合わせて、経営指標を維持しなければならず、それが経営の拘束にもなっている。

そこで、アメリカでは、無格付社債を発行する企業も少なくないが、専門的知見を有する投資運用業者にとっては、無格付であるが故に、割安、即ち、価値よりも低い価格が実現するのならば、それでいいわけである。こうして、格付の有無は、社債の価値に影響を与えないのに、価格には影響を与えるから、市場に割安という非効率を生むのだが、その非効率を発行体と投資家とで分け合うところに、無格付社債の存在意義があるのである。

さて、全ての社債が無格付になったら、どうなるか。現状、社債に関する高度な専門的知見をもつ投資家は、信用格付が不自然に創造する機会に投資しているが、信用格付がなくなれば、他の投資家と専門的知見を競うだけのことで、むしろ、そうした知的競争の状況こそ資産運用の自然な姿なのだから、要は、単に、自然に還るだけのことである。