■「江戸東京博物館」に話を聞いた

国土交通省はおろか、東京都までが「東京まで○km」の正体を知らないことから、ひとつの仮説が浮かび上がる。それは、標識の表記における「標識の東京=日本橋」という概念が「法的に制定されていない」という説だ。

この説を裏付ける事実として、東京都墨田区にある「江戸東京博物館」より、興味深い回答が得られている。

同館の担当者はまず、「江戸幕府が編纂した地誌『御府内備考』(ごふないびこう)に、『此橋江戸の中央にして、諸国への行程もこゝより定めらるゝゆへ、日本橋の名ありといふ』(この橋は江戸の中央にあり、諸国への行程もここから定められるため、日本橋の名であるという)とあるように 、江戸時代において日本橋は五街道の起点と考えられていました」と、その歴史を振り返る。

続けて「その後、1873年(明治6年)に明治政府が正確な里程(距離)の調査を命じ、その中で『東京ハ日本橋、京都ハ三条橋ノ中央ヲ以テ、国内諸街道起程ノ元標トナシ』と、東京の起点を日本橋に定めています」「そして1919年(大正8年)に公布された道路法施行令により、各地に道路元標が設置され、これを基準に距離を算出していました。東京市は日本橋に道路元標を設置しました」と、説明してくれたのだ。

つまり、少なくとも大正の時点では「標識の東京=日本橋」という図式が、「法的に成立している」と言えるだろう。しかし、昭和になって転機が訪れる。

「東京まで○km」の「東京」はどこなのか、東京都も知らないと判明 職員は「回答しかねます」
(画像=『Sirabee』より引用)

江戸東京博物館の担当者は「関東大震災後の1928年(昭和3年)に設置された道路元標は1972年(昭和47年)に道路改修のため、現在の日本橋北西詰めに移設されました。 移設された道路元標の代わりに『日本国道路元標』が設置されましたが、これは記念碑的なもので、法令に準拠したものではありません。そのため、現在の『東京まで○km』という表記が日本橋を起点にしている根拠については分からず、不明となっております」と、その経緯を語ってくれたのだ。

「東京まで○km」の「東京」はどこなのか、東京都も知らないと判明 職員は「回答しかねます」
(画像=『Sirabee』より引用)

現在の法律上では、「首都圏」に関する定義は存在しても、「日本の首都=東京」と定める文言は存在しないという。言わば「日本の首都は東京」という考えは、暗黙の了解で成り立っているのだ。

ひょっとしたら「東京まで○km」という標識にも、同様の現象が生じているのかもしれない。