『誤解だらけの韓国史の真実 改訂新版』(清談社、5月4日発売)の刊行を機にした、日韓関係史の基礎知識の第12回。

今回の韓国通史の画期的な点のひとつは、日本人の起源における三段階説を前提に議論を展開している、最初の韓国通史である。

ここ10年くらい、ヒトゲノムの研究が進んだおかげで、これまで虫眼鏡レベルで議論していたことが、顕微鏡レベルくらいに進化した。

そのへんの成果は、現在、上野の国立科学博物館で開催している「古代DNA 日本人の来た道」によく表れており、人類学におけるこの問題の研究動向を知る上で、ぜひ訪れていただきたいと思う。

この議論のキモは、これまで縄文(1万年あまり前)・弥生(2300~2400年前)の二段階説をもとに日本人のルーツを説明していたのが、農業がもっと早く始まったらしいということと、日本語の起源ももっと古いということの説明を、「3000年前のいわば第一期弥生人の到来」ということで説明する点にある。

これを朝鮮史に当てはめた場合、ちょうど箕子朝鮮の建国にあたる。『史記』によれば、始祖の箕子(胥余)は中国の殷王朝28代文丁の子で、甥の帝辛(紂王)の暴政を諫めたが、殷の滅亡後、周の武王は箕子を崇めて家臣とはせず、朝鮮に封じた。朝鮮侯箕子は殷の滅亡後(紀元前1046年)、遺民を率いて東方へ赴き、現在の遼寧省から北朝鮮にあたる地域で、礼儀や農事・養蚕・機織の技術を広め、また犯禁八条を実施して民を教化したので、理想的な社会が保たれたという。

殷の位置 Wikipediaより

韓国の学者はこれを伝説として見がちだが、この3000年前という時期に、ちょうど遼寧省の遼河西岸地域に住んでいた民族が南に移動し、韓国南部や日本列島にやってきているのと、よく符合するわけである。

そして、この民族の言語が朝鮮語と日本語の祖語だとすると、すべてがうまく説明できるのである。その辺りを新著では解説している。