ラウジャアは化石の産出地周辺で広く尊敬されている19世紀の高僧Dulduityn Danzanravjaaに由来し、イシイイはモンゴルでの化石発掘調査の基盤を構築した林原自然科学博物館の元館長、石井健一氏(故人)に敬意を表して命名したとのことです。
またラウジャア・イシイイは、ゴビ砂漠地域で見つかった初めてのゼレステス科となりました。
内陸部にも進出していたことを示す初の証拠

ゼレステス科は白亜紀後期において、ヨーロッパから中央アジア、日本、北アメリカに至るまで、広い地域に分布していたことが知られています。
しかし東アジア内陸部、特にモンゴル国からの報告はなく、分布の空白地帯とされていた上に、ゼレステス科が見つかっている場所は基本的に大陸周辺の沿岸部のみでした。
そうした背景の中で、今回の発見はゼレステス科の哺乳類が東アジアの内陸部にも進出していたことを示す初の証拠となったのです。

さらにラウジャア・イシイイの歯の形状から、種子や果実を主な食料としていたと推測され、当時急激に拡散していた被子植物(花を咲かせる植物)との関係も示唆されています。
これは恐竜だけでなく哺乳類もまた、植物の進化とともに多様化していったことを物語る重要な証拠といえるでしょう。
以上の結果から、恐竜を含む豊かな陸上動物相が現在のゴビ砂漠一帯に存在していたことを示す貴重な発見となりました。
チームは今後について次のように話しています。
「IPMAS との共同調査では、本標本だけでなく、小型の恐竜類、トカゲ類、両生類、魚類などを含む多様な小型脊椎動物化石の採取と分類群的検討を、現在も継続して行っています。