教育は、日本統治の積極的な遺産としてもっとも評価されるべきものである。日韓併合以降、教育は急速に普及し、終戦時には国民学校への就学率が男子76%、女子33%に達していた。内地に比べて半世紀遅れてはいたが、明治維新と日韓併合から数えれば同じであり、着実な進展であった。

また、李氏朝鮮では民衆文化のようなものはあまり評価されていなかったが、それに光を当てたのは柳宗悦など日本人の民芸運動家であった。千利休の時代から、日本人は朝鮮の人々が気づかなかった朝鮮民衆文化に注目し、評価していたのである。

さらに、仏教も抑圧され寺院も荒れていたが、それを復 興していったのは朝鮮総督府の功績である。韓国へ旅行して古い寺へ行くと、観光ガイドが日本が荒らしたかのようなことを匂わせるが、時系列で責めると、李氏朝鮮時代に荒れ果てていたのを朝鮮総督府が復興したことを認めることになる。ともかく、総督府の朝鮮伝統文化の再評価、保全、発展に尽くした功績は驚くべきものである。つまり、中国の影響から抜け出させるために韓国の伝統文化に光を当てたのは朝鮮総督府なのである。

景福宮も、その一部に総督府が建てられたが、景福宮前の素晴らしいメインストリートも総督府が整備したものである。

景福宮 Wikipediaより

むしろ、韓国の人々の歓心を買うために日本本土が犠牲にされたともいわれており、また、結果として韓国の人々が自分たちの歴史と文化に自信を持ちすぎて、日本を蔑視するようになった感すらある。