以上を前提にして、本連載の基本原則を明記しておきたい。

(1)基本的にはこれまで発表した単著を1冊ずつ取り上げて、そのテーマ設定の理由、研究方法、「縁、運、根」に関するエピソード、そこでの結論と発展への視点を要約する。

(2)そのテーマの先覚者が遺した文献との真摯な対話を通じて、何をどのように学んだか、その研究成果の問題点は何か、現代日本のどこに応用できるか、それを行うことにより、いかなる展望が得られるかをまとめる。

(3)自然科学や医歯薬系の学問とは異なり、社会学ではいわゆる「発明・発見」はない。しかし、社会の「法則」や「命題」などはこれまでの先覚者の業績にもかなり散見されるから、自らの単著でもそのような傾向が確認できたならば、従来の学説研究上の「法則」や「命題」に代わる新造語や新図式を提示して、いわゆるneologism(neology)を実践する。

(4)共著や編著における自らの担当論文についても、単著での試みの後に、同じような方法で新造語や新図式の発見をできれば紹介したい。

(5)すべてが自らの著書の総括であり、次世代次々世代に対してのメッセージの意味を込めている。

持ち場の自覚

社会学界では従来このような試みはあまり見かけないが、たとえば折に触れて再読してきた丸山眞男(1964)の「追記および補註」のような位置づけである。丸山の「追記・補註」は論文への「解説」であったが、私は著書とした。

しかし、丸山がいうようにそのような試みは「実に奇妙」であり、「著者自らやるということは、ある意味ではこれほど僭越で傲慢な態度はなかろう」(同上:577)。

その通りかもしれないが、丸山が意図的に「学問を職業としない方々にも研究成果を届けて、そこからも鞭撻と率直な批判を期待しお願い」(同上:583)してきた実践は、私にも思い当たるふしがある。

私の場合は、自治体でコミュニティ政策、高齢化、地域福祉、少子化、児童虐待などの分野に取り組まれていた方々への学術的なメッセージの意味が強かったが、社会学の成果を政策情報へと昇華させることは、私なりの「持ち場の自覚」(同上:565)でもあった。