悠久な時間が織りなす宇宙は時に人を威嚇することもあるが、地球という惑星で居住する人類は選ばれた存在ではないかと感じる。なぜならば、ツァイリンガー教授がいうように、地球には全てが整い、その一つでも欠けていたなら人は存在すらできなかっただろうと思うからだ。
満天の夜空を見ることができるなら、ビックバンが起きた138億年前や地球が誕生した46億年前が昨日の出来事のように私たちの心を捉えるかもしれない。
宇宙空間には銀河が至るところにあり、それぞれが数十億の星、惑星、衛星を持つ独自の世界を広げている。人間という“種”や冥王星までの太陽系全体も大宇宙の中では砂漠の砂粒にもならない、という思いが自然に沸いてくる。それは人間や地球を卑下するものではなく、圧倒的な宇宙の広がりへの畏敬、といったほうが当たっているだろう。
宇宙は喧噪な日々を生きる私たちの心を解放し、無限な空間まで広げてくれる。私たちが生まれるずっと前から、宇宙は存在してきたということは、私たちは宇宙の孤児ではなく、私たちが生まれてくるために長い準備があったことを教えてくれる。
編集部より:この記事は長谷川良氏のブログ「ウィーン発『コンフィデンシャル』」2025年4月5日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿を読みたい方はウィーン発『コンフィデンシャル』をご覧ください。