『老子』第三十三章にも「知人者智、自知者明…人を知る者は智なり、自らを知る者は明なり:人を知るのは智者に過ぎないが、自分を知るのは最上の明とすべきことだ」とあります。世のあらゆる事は人間が生み出し人間が行っているわけですから、自分自身を含め人間というものを知らずして大した事は成し得ません。自得・見性こそが正に、本当の明徳であり明であり全ての出発点なのです。『マタイによる福音書』の中に、心の清き者につき「その人は神を見る」というように書いてあります。「心を清くすると神に通ずる」ということで、心を清めることはあらゆる宗教で一番大事だとされています。我々は、明徳が私利私欲の強さに応じ次第に曇らされ、結局は明が無くなって行くといったことにならぬよう、唯々修養しようという気持ちをずっと持ち続け、自らの良心に根差し自問自答する中で、心中の賊を破るべく尽力して行くしかないのだろうと思います。
編集部より:この記事は、「北尾吉孝日記」2025年2月21日の記事を転載させていただきました。オリジナル原稿をお読みになりたい方はこちらをご覧ください。