■墓石の並ぶ家

彼によれば、秋山家は昭和30年代にそれまでいた大阪府から神奈川県藤沢市某所に移ってきた。高度経済成長期の頃のことで、東京の通勤圏内である東京近県の宅地開発が盛んだった時期だ。昔は雑木林ばかりだったと秋山さんは父から聞かされていたが、彼自身が物心つく頃には家は住宅街に呑まれていた。家の敷地は100坪少々で、2階建ての母屋と、後に駐車スペースの上に建てた離れ、植木に囲まれた芝生の庭があった。
ちなみに転居の理由は一家の大黒柱だった祖父の転勤だったそうだ。祖母は専業主婦で、子どもは長子である秋山さんの父と長女と次女。しかし、2人の叔母を含めて、皆、亡くなっている――。
「2002年頃までご両親がそこに住んでいらしたんですよね? ご両親もお亡くなりに?」
「はい。立て続けに亡くなってしまいました。私は、父が祖父の遺言を守らなかったせいだと信じています。両親だけじゃなく、2人の叔母も、犬の祟りで死んだんじゃないか、と」
「犬の祟り? 6基、お墓があるとおっしゃいましたよね」
「ええ。祖母が大の犬好きで、引っ越してくる前から犬を飼っていたそうです。でも、私が赤ん坊のとき、最後の1頭に噛まれて、泣き声で飛んできた母が私から引き離そうと箒の柄で叩いたら打ちどころが悪くて死んでしまい、それから飼うのをやめたと聞いています」
秋山さんが赤ん坊の頃――彼は現在50歳だから、ちょうど今から半世紀前の1969年前後――、結婚した女性は「家庭に入る」つまり専業主婦になることを周囲に期待されていた。当然視されていたと言ってもよく、秋山さんの母も結婚と同時に会社勤めを辞めて専業主婦になった。
ところが秋山家では祖母が家事を取り仕切り、財布の紐を握っていた。
「母は祖母と折り合いが悪く、ずいぶん苛められたと言っていました。祖母は母が犬をわざと殺したと疑ったそうです。私に怪我がなかったから、余計に……。母は、犬が私の腕に噛みついているのを確かに見たのだと祖母に訴えたけれど信じてもらえなかった、と。そのときは冬で、私は厚地の上着を着た上にキルトや毛布を重ねて掛けて、庭に置いた乳母車に乗せられていたということなので、犬の歯が肌まで届かなかっただけかもしれませんが……。祖母は激怒して、母に赤ん坊を置いて実家へ帰れと言ったとか……」
結局、父と祖父がとりなして、事を円く収めた。
「まあ、円くと言っても、恨みは残りましたよ。祖父は、もう揉め事は御免だと思ったのでしょう。今後は犬を飼わないと宣言したそうです。すると祖母は、母を睨みつけて、いつか大変なことになると言って脅した、と。これは10年前にあの家を手放す直前に両親から聞いたんですが、祖母は四国の犬神信仰がある地方出身で、だからというわけではなかったかもしれませんが、犬を飼うことに異常に執着していたそうです。家にあった六つの墓のうち四つは、大阪の家から墓石ごとわざわざ運ばせたものでした」
秋山家の敷地は100坪あまり。日本の一般家庭の家としてはどちらかと言えば広い方だが、庭に6つも墓石が並んだら、さすがに異様な景色になるのでは?
――私はふと、2017年の5月に訪ねたキューバで見た、とある犬の墓を思い起こした。
それはアメリカのノーベル賞作家、アーネスト・ヘミングウェイの愛犬たちの墓だった。ヘミングウェイはフロリダ州キーウェスト島からキューバに来ると、コヒマルという漁村にコロニアル様式の白い豪邸《フィンカ・ビヒア(望楼別荘)》を建て、1939年から22年間、そこで暮らした。
ちなみにコヒマルは名作『老人と海』の舞台であり、キーウェスト島にはヘミングウェイの愛猫の子孫である6本指の猫たちが今もいる。この文豪が多指症の猫を溺愛していたことはつとに知られており、『誰がために鐘は鳴る』の中に《No animal has liberty than the cat , but it buries the mess it makes. The cat is the best anarchist.(動物のなかじゃ猫がいちばん自由を持ってるわけだ。猫はてめえのきたねえものを埋めるからだ。猫が、いちばんりっぱなアナーキストだ)》という名言を遺しているほどだ。(※)
※大久保康雄訳/新潮文庫版『誰がために鐘は鳴る(下)』より抜粋
だから私は、キューバで4頭の愛犬の墓を見つけて、意表をつかれたように感じたのだった。ヘミングウェイと言えば猫だと思い込んでいたためだ。
4基の墓碑は横一列に並んでいて、それぞれに名前を刻んだ銘板が付けられていた――BLACK、NEGRITA、LINDA、NERON――。
