山上徹也が非モテであると自認し、反フェミニズムの立場だったのは指摘済みだが、彼は母親と一対一の関係を意識したとき「オレ」と強がれず、もしかすると実生活では僕、または僕とさえ言えない関係だったようだ。そしてジャーナリストや識者が言うような社会変革を求めて銃を自作する男でもなかった。
低レベルの作文で垂れ流された願望
「現在のような状況を引き起こすとは思っていなかった」「(宗教)2世の人たちにとって良かったのか悪かったのか分からない」──昨年6月、暗殺犯山上徹也の発言が弁護団から発表された。ジャーナリストや識者らは、彼が旧Twitterに残したツイートを元に社会改革を意図していたなどと語っていたが、いずれも願望を垂れ流しただけだったといえる。
拙著『検証 暴走報道』で触れたように、私は山上が残した全ツイートを統計解析した。大量のデータに含まれるパターンや傾向を明らかにしたのだ。
山上のツイート全文を言語として意味を成す最小単位の言葉に分解する形態素解析と呼ばれる手法を使って見えてきたのは、壮年になっても少年時代の親子関係に執着し、人生が思い通りにならず非モテな現状を他人のせいにする男の姿だった。
山上は安倍晋三氏の政策に一定の評価を与えていた。
左派・リベラル政党や支持者を小馬鹿にしていた。
北朝鮮・韓国嫌いで、女性とフェミニズムに対しての嫌悪が著しいミソジニストだった。
自らも自覚していたように、いわゆる古典的とも言えるネトウヨ(ネット上で右翼的な言動や排外主義的または差別的な言動を展開する人物)で、「社会改革を意図していた」などと彼を祭り上げた人々が日頃から侮蔑していたタイプの男だった。
山上のツイートは2019年10月13日から残されている。
最初の投稿は
やりゃいいよ。どうせ「日本死ね」「民度ガー」「民主主義は死んだ」しか言う事はないのだから。詰まるところ日本人ヘイトに向かうしかな無いのは言わなくても分かり切っている。